南湖寄席と酒井七馬の紙芝居
旭堂南湖の講談の会に行ってきました。上方講談の若手の方で、明治時代に流行した「探偵講談」を現代に復活させて話題になっております。「まだらの紐」とか「六つのナポレオン」とか。
見台に拍子木も置いてあったようですが、ほとんどそれを叩くこともなく、ほら、講談って台をぱんぱん叩くイメージじゃないですか。それがなくって意外と静か。でもしゃべりは講談ですからあくまで滑舌よく、落語とは違いますねー。
当日の演題は、「赤穂義士銘々伝より堀部弥兵衛」、「SF講談紙芝居/原子怪物ガニラ」、「探偵講談/くろがね天狗」の三本。
このうち「くろがね天狗」は、日本SFの先駆者・海野十三の作品。海野十三は戦前に科学推理小説(乱歩の命名)「電気風呂の怪死事件」でデビュー。以後科学小説や探偵小説で人気となり、作品数は長短あわせて数百といわれています。とくに少年向け冒険小説は、手塚治虫らが子供時代愛読した作品として海野十三の名をあげることが多い。周期的に再評価される人ですが、実は作品そのものは現在読んでみるとヘナヘナとなるようなモノで、決して面白いものではありません。
「くろがね天狗」も、大江戸の町を荒す辻斬りの怪剣士。刀も鉄砲も平気。実はテレパシー(!)で操作されるロボット。という、現代から見ればちょっと待てーっといいたくなるような作品で、聞いていてアゴががくんと下がりました。
お目当ては紙芝居「原子怪物ガニラ」。作者は佐久良五郎(さくらごろう)こと酒井七馬。酒井七馬は手塚治虫との合作「新宝島」で歴史に名を残しましたが、晩年は恵まれていたとはいいがたい。1969年に62歳でなくなっていますから、1947年の「新宝島」発行のころ40歳です(当時手塚は18歳)。
「ガニラ」の制作時期は、南湖さんは1950年代というだけではっきり言ってくれませんでしたが、「ガニラ」はネーミングからしてゴジラの影響下にあるよう。しかも北の海が舞台ですからイメージとしては第2作「ゴジラの逆襲」(1955年)が元ネタか。神戸で紙芝居を描いていた水木しげるが、いよいよ食べられなくなって上京するのが1957年。アトムのテレビ放映開始が1963年。1960年代半ばにはわたしの周囲からは紙芝居は消滅しました。
「原子怪物ガニラ」、どんな話かというと。
北の海を行く2隻のカニ漁船。船長は彫りの深い西洋顔。漁船の船長とは思えない、外国航路のキザな船長のような帽子と服装。息子の少年・シンイチくんも乗り込んでいますが、かれも派手な顔に黄色のセーター。今見ると、ファッションセンスや顔は吉田戦車の人物のよう。
大漁に喜んでいたところ、突然大きな氷山が割れて巨大なカニが現れます。「原子怪物ガニラだっ」
このあたりお約束ですが、初登場時から名前がついています。おお、カニを食べ、原子をもてあそぶ人間への自然界からの復讐がテーマなんでしょうか。漁船の1隻はガニラのはさみで壊され沈没。シンイチくんの船も全速力で逃げますが、船員が胴体をハサミではさまれちゃったりします。けっこうスプラッタ。
ついに追いつかれて船の後部をガニラのハサミでちぎられてしまう。そこから船の燃料の重油が海に流れ出すのを見て、シンイチくん、「そうだ、海に火をつけよう」
シンイチくんの計略は成功。ガニラは火につつまれ海中に一時逃げます。再度ガニラがあらわれたらどうする。シンイチくん、さらに提案。「船を燃やして自分たちは海へ逃げよう」
おーい。北の海でそれはあまりに無謀ちゃうんかい。というところでこの日は6巻までで終了でした。
展開はすごくのんびりしていて、いつまでたってもガニラと船がおっかけっこしてるばかりで、お話が進みません。これが紙芝居のペースだったのかなあ。わたしの記憶ではそうじゃなかったような気が。絵は海と船と巨大カニだけなんで、怪獣モノの迫力はあんまりありません。せめて都会が舞台だったら。
あははと笑えてしまう紙芝居ですが、酒井七馬のようなそれなりに名を知られた人物の作品であることを考えると何か悲しくなっちゃいますね。
南湖の講談には川崎ゆきお原作の「猟奇王」もあるそうで、こ、これは聞いてみたい。
Comments
しまった。北海と書くと固有名詞になっちゃうよなあと控えたんですが、キタノウミも固有名詞だったか。耳で聞く発音は違うんですけどねー。
Posted by: 漫棚通信 | December 21, 2004 09:10 AM
「探偵講談」とても興味深いお話でした
そんなに有名な方も書いてらっしゃるとすると
ひょっとして本では読めない作品も埋もれているかも知れませんね
『~ガニラ』は最初“北の湖と怪獣が”と読み違い
なんと斬新なシチュエーション!と
思わず感心してしまいました(笑)
Posted by: たにぞこ | December 21, 2004 12:02 AM