仮想敵国アメリカ(その1)
ヤングマガジンアッパーズ廃刊にともない、いろんな作品が終了しましたが、その中のひとつ、すぎむらしんいち「サムライダー」が5巻で完結。
旧「サムライダー」が、高校生のお気楽バイクアクションだったのに比べて、新「サムライダー」はバイクに乗った妖怪(ゴーストライダーの日本版みたい)と暴走族の闘い…かと思ったら、ラストはとんでもない展開に。
近未来の日本、20XX年。10年前の条約調印により、日本国は日本州としてアメリカ合衆国51番目の州となっています。東京は風俗特区となり、都庁はピンク色に塗られてカジノとラブホに。連載第1回で、アメリカ軍のジェット機が都庁に激突し2000人以上の死者。「突っ込んだのかよ!? マジかよ!?」「また酒のんでたんじゃねえの」「あいつら好き放題やりやがって…」「ファックされっぱなしだぜニッポンはよ」「俺たちゃアメリカのオモチャじゃねえ!!」というのが街の声。
北関東の地方都市、賽木原市に、バイクに乗った妖怪・サムライダーが10年ぶりに出現。暴走族の首を刎ねていくお話。サムライダーが帰ってきた理由は。「日本がメス犬に成り下がった日とその10年後の今」「サムライダーは…」「俺たちが戦いから逃げた時…」「俺たちが戦いを忘れた時…」「地獄から甦る…」「そして殺しまくる…」「腐り果てた日本人を!」
もうひとつの説。「奴らは」「日本がひとつの国だった頃の亡霊だ…」「我々が失くした誇り…不安…」「恨み…後悔…狂気…」「それらが」「ああいう邪悪な姿で甦ってくるのさ…」
ちょうどそのころ、アメリカと中国が一触即発の戦争の危機。アメリカ大統領は、この日のために日本とアメリカがひとつの国家になったと語ります。サムライダーが相手にしていたのは暴走族でしたが、FBIのテロ対策部隊が出動。続いて陸軍の巡航ミサイル、戦闘ヘリコプター、戦車など。そしてついには核ミサイル。ラストシーンは、サムライダーがアメリカの○○を△△して、世界戦争勃発。
いつものすぎむらしんいちのように、ストーリーはイキオイでどんどんエスカレートしていきますが、底に流れているのは、日本人のアメリカに対する、好きなんだけどキライ、というフクザツな感情です。
なんたって日本人はアメリカと戦争して負けてますから、戦争そしてその後の占領を考えると恨みもあるわけです。一方で、アメリカ文化はあこがれの対象でもありました。戦後60年たった現在でも、アメリカかっこいい、でもブッシュみたいなバカ多いし。あこがれる、でもイラク戦争なんかしやがって極悪。ひるがえって日本は、政治的にアメリカべったりの方針を続けてるわけで、ああ、もうっ、と身をよじるような感覚。
日本マンガの中のアメリカのイメージは。とくに敵としてはどうか。
このテーマでかすぎるんで、今回は簡単に。
戦後まもなく1951年、手塚治虫「来るべき世界」には、日本・スター国・ウラン連邦が登場します。二大国が戦争となりますが、日本はどうも戦争に参加していないようです。超人類フウムーンに攻撃されたスター国の人々は日本に逃げてきます。日本は戦争・紛争から中立でいたいという夢。ここではアメリカもソ連も、日本の敵としては描かれませんでした。
貝塚ひろし「ゼロ戦レッド」(1961年)、辻なおき「0戦はやと」(1963年)、ちばてつや「紫電改のタカ」(1963年〜1965年)などの戦記マンガも多く描かれましたが、ここでは当然アメリカは敵です。のちのかわぐじかいじ「ジパング」のような架空戦記モノも同様。ただし、マンガの中では戦闘をかっこよく見せなきゃいけないので、戦いは武士や騎士の決闘、あるいは秘術を尽くすスポーツの試合の如し。敵のアメリカ人も、戦闘を離れればリッパな個人として描かれます。
日本では60年安保、70年安保の時代。アメリカの外ではベトナム戦争、内では公民権運動の嵐。ベトナム戦争をしているアメリカ国家は敵でしたが、ヒッピーやフラワー・チルドレンは味方の気分。こういう現実とは別に、日本マンガにとってアメリカはまだまだ遠い国。
マンガの中のアメリカの代表的なかたちは、まだ見ぬあこがれの国です。ちばてつや「ハリスの旋風」最終回(1967年に終了)に代表されるように、多くのマンガ主人公はアメリカに旅立ちました。アメリカのハリス学園に留学するんですね。夢の国、希望の国へ。たいてい飛行場(まだ羽田ですな)で、みんなに見送られて最終回。しかしアメリカでの日本人の活躍が描かれることはありません。日本マンガはリアルアメリカを描くほどの実力がまだなかった。
青年マンガは、まだまだ自分の身の回りの小さなオハナシに目が向いていて、アメリカ人が登場しても、ギャング、脱走兵、セックスの対象としてでしかありません。少年マンガの悪役は、まだまだ世界征服をねらう架空の○○団か、その上は悪の宇宙人。せいぜい日本の支配者層でした。
おそらく少女マンガこそ、もっともアメリカを描いたのでしょう。お気楽なコメディ、「キャンディ・キャンディ」のような歴史モノ、樹村みのりの政治的社会的主張をこめた作品まで。ただこのジャンル、わたしの知識が足りませんので今回パス。
日本マンガが本格的にアメリカとの戦いを描くテクニックを手にしたのは、1970代後半になってから。池上遼一と大友克洋の登場。
以下次回。
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