4コマの神話、起承転結の呪縛
夏目房之介「マンガの深読み、大人読み」66ページ、「いしいひさいちの極意」中の文章。
・「起承転結」という構成の概念と数が合うので、いつのまにか「マンガの基本は4コマ」という神話さえ生まれていた。
あっさり書いてありますが、4コママンガは「起承転結」と単に「数が合う」に過ぎず、マンガの基本なんかじゃないぞ、という意味であります。
辞書によると、起承転結というのはもともと唐代の漢詩・絶句から出た言葉らしい。これが日本で綴り方教室的に教えられるようになったのは、知識がなくて申し訳ありませんが、江戸時代、頼山陽あたりからでしょうか。有名なアレですね。
三条木屋町 糸屋の娘
姉は十八 妹は十五
諸国大名は 弓矢で殺す
糸屋の娘は 目で殺す
(三条木屋町が京都三条になったり大阪本町・大阪船場になったりするバージョン、妹の年齢が違うバージョンもあり)
「転」の部分の「諸国大名は…」の飛躍がスゴくて、「結」できれいにオチてます。この「起承転結」が漢詩の基本構造とされ、他の文章綴り方もこれに順ずるように指導されるようになりました。確かにこのように語られるとリーダビリティ十分。
一方、コママンガが日本に輸入されたとき、コマ数は4コマであったわけではありません。もっと自由なコマ数を持っていた。ところが新聞マンガの形式では、いつのまにか「4コマ」が標準となり、昭和初期にはすでに定着していたそうです。ただマンガが4コマである必然は何もありません。そして4コママンガが標準となったとき、だれかがその構造を古典的漢詩の起承転結で解読したのじゃないか。当時、その解釈は新鮮であったろうと思われます。おおそうか、起承転結だから4コマなんだ、ユリイカ!
これ以来、日本マンガは4コマと起承転結に二重に縛られることになりました。4コマで縛られ、起承転結で縛られ。以後現在にいたるほとんどのマンガ指導書が「4コマが基本」「起承転結が基本」と書き続けます。考えるに日本人てのは定型に縛られるのが好きなのかしら。俳句にしたって、五七五に季語をいれるという定型なんだし。
しかし、考えていただきたい。「起承転結」は、もっと長編のエンタテインメントにこそふさわしい形式じゃないのか。「転」で大きなクライマックス、「結」で余韻のある結末を迎える。それに向かう「起」「承」ではきたるべきクライマックスに対する準備がなされる。物語を語るにふさわしい構造です。むしろ短く定型的な4コママンガには「起承転結」は自由な発想をさまたげる。そして起承転結がなければ、マンガが4コマであることに何の意味があるのか。
戦後、日本マンガがこのことに気づく機会が3回あったと思います。まず、文藝春秋の「漫画読本」が創刊され、海外マンガが紹介され始めたとき。2回目がシュルツの「スヌーピー」ブームが起きたとき。海外マンガでは4コマは基本でもなんでもなくいろんなコマ数が存在し、もし4コマであっても、起承転結とは何の関係もない。それで十分面白いものができていました。しかしせっかく海外からの風が吹いていたのに日本マンガは4コマと起承転結に固執し、4コママンガの衰退を招くことになりました。
結局、いしいひさいちの登場で、やっと日本4コママンガは起承転結を無視してかまわないことを知ります。いしいひさいちの功績は、4コママンガを複数並べ、長編を語ることを可能にしたこと、と言われますが、もうひとつ、いしいひさいちは4コママンガを起承転結の呪縛から解放しました。
2004年10月10日朝日新聞「ののちゃん」2665回を見てみましょう。
・1コマめ:台風一過の青空の下、小学校の運動会。山田のの子、キクチ、久保の50m走。
・2コマめ:コース途中の水たまりを走る。
・3コマめ:コースに倒れている木を乗り越える。久保がコケる。
・4コマめ:ゴール。のの子が一等。久保のセリフ「いつもの50mなら勝ってたのに!」 キャプションに「平時のキクチ、乱世の久保、大乱世の山田」
2コマから3コマへのエスカレートに笑い、4コマめの饒舌がトドメをさします。古典的起承転結から自由になっていると思いますがいかが。
さて、起承転結の呪縛は解けましたが、4コマの呪縛はどうでしょうか。ほとんどの新聞マンガはなお4コマ形式を守っています。いしいひさいちにしても、4コマじゃなくなるのはたまのことにすぎないし、他に4コマに拘泥しない作家といえば、佃公彦ぐらいでしょうか。これは作家が保守的なのか、読者が保守的なのか。読者は新聞マンガのコマ数なんか気にしないと思うんですが。
「ブーンドックス」を読んでると、4コマでもないし、起承転結でもありません。「スヌーピー」もそうでした。日本の新聞マンガが4コマの呪縛から解放される日はくるのか。
Comments
>漫画集団成立よりは古いような気がします。
ははぁ、なるほど。もっと根が深いのですね。
新聞に4コマ漫画が載りだしたのは大正後期以降でしたっけ。もし、そもそもの当初から既に「起承転結」という発想方法がデフォルトだったとすれば、やはり「コマ数=4」には動かしがたい意味があると言うことになりますね。いずれにせよこのあたり、日本人の定型好みとも関連しているようで、とても興味深いです。
Posted by: とんがりやま | October 13, 2004 09:41 PM
東海林さだおは読んでみたかったですね。4コマ・起承転結をマンガの基本と言い出したのは誰なのか、おそらくまだ研究されていないとは思いますが、昭和7年の漫画集団成立よりは古いような気がします。一度確立した神話は壊すのが大変。子供マンガの分野でも、手塚が起承転結をきわめて重要視しているのに対し、石森は起承転結をいかにくずすかを念頭においた文章を書いています。ただ4コマという形式はずっと残るのかも。
Posted by: 漫棚通信 | October 13, 2004 07:25 PM
そういえば毎日新聞で、東海林さだおが8コマ使っていた時期があったような記憶があります。
新聞4コマは、おっしゃるように俳句(というより川柳か)みたいな感覚で作られ読まれていたんじゃないでしょうか。特に、時事風俗ネタの多い作家(加藤芳郎とか)のを見てるとそう思います。4コマ=起承転結という「縛り」があるのもそのためかと。何かしらの定型を持っている方が量産しやすいという理由もあるんじゃないでしょうか。
問題は、そういう「新聞4コマ」があたかも「全てのマンガの基本」であるかのように思い込んでしまったことにあるのではないかなあと。
新聞といえばジャーナリズムの華、頂点でしたし、大新聞に連載してこそ一流漫画家の証、とする風潮が長く続いていた時代(つまりは「漫画集団」が暗然たる権力を持っていた時代)の名残りなんじゃないかな、という風に思ったりしてます。
Posted by: とんがりやま | October 13, 2004 12:17 PM