「マンガ学への挑戦」マンガ論・論だぞ
マンガ家はよっぽどマンガ批評が嫌いとみえて、最近ならBSマンガ夜話に怒った藤田和日郎と椎名高志とか(あんなに絶賛だったのにね)、古くは批評をダカツの如く嫌った手塚治虫とか。
手塚は、たとえば虫プロ「COM」1967年6月号で、最近のマンガ評論家はマニアであかんたればっかりと批判。「現代のある特定のまんがを新まんがの到来と、マニア的にとり組むことなど、新商品のPRとおなじで、笑止千万ではないか」 1968年2月号と6月号では、石子順造の文章に対して論争したりもしてますし、「火の鳥」は完結するまで批評することまかりならん、などとムチャなことも言ってました。
現代にいたるまでマンガ家が批評に対して傷つきやすいのは、マンガ家側の問題だけではなく、マンガ批評が成熟していないことにもよります。
さて、夏目房之介「マンガ学への挑戦 進化する批評地図」であります。「マンガの深読み、大人読み」はマンガ論ですが、こっちはマンガ論・論です。
オープニングはBSマンガ夜話で辛口の発言をするいしかわじゅんが、なぜきらわれているのかという話から。そこから三人のレギュラー、いしかわじゅん、岡田斗司夫、夏目房之介のマンガ批評の立場の違いを語り、この本をつらぬく大きな命題「マンガは誰のものか?」が提出されます。
マンガは誰のものか。作家のもの?読者=社会のもの? 議論して面白い問題ではありますが、結論が出るわけもないよなあ、と読み進めておりますと、なんと著者はこの命題に回答を出すのではなく、マンガ批評のありかたをこの命題に対する答えによって分類します。そうきたか。
著者によるマンガ批評の歴史をたどると、
(1)古典的教育論。子供に対する教育効果や影響を語る。ここではもちろんマンガは社会のもので、教育的善悪が問われるだけです。
(2)マンガそのものにたいする批評の始まり。1960年代、鶴見俊輔・石子順造らによって、白土三平・つげ義春らが論じられました。大衆文化論としてのマンガ論。鶴見俊輔の言う「読者−作者共同体」は、この時代のマンガ市場の規模がまだまだ小さく、現実にマンガ制作現場と読者の距離が近かったことが、その発想の原点でしょうか。彼らのマンガ評価は、民衆史観に基づきマンガを理想化する傾向があり、著者は「マンガ論の片思い」「マンガと批評のスレ違い」と批判していますが、この時代の批評のあり方は、その後のマンガの商業的成功、市場の拡大によって、駆逐されてしまいました。
(3)1970年代末より団塊の世代によってなされたマンガ論。村上知彦・米沢嘉博・亀和田武・中島梓ら。著者は<私語り>のマンガ批評と名づけました。読者の「読み」こそマンガであり、思い込みでも誤読でも何でもあり。読者の数だけマンガはある。ここでは作者=読者(私)であり、マンガを語ることは読者論でもあるということになります。
(4)1990年代初め、夏目房之介を中心に始められたマンガ表現論。作者が読者に何を伝えようとしているかを知るために表現を読み解くわけですから、マンガは明らかに作者のものです。
(5)1990年代後半、マンガを社会学的に見ることへの回帰。マンガを商品として考え、市場を持った産業としてとらえる。世界の中の日本マンガとしてとらえる。アジアのマンガと日本マンガの関係を探る。戦前マンガと戦後マンガの空白を埋める。近代日本でのマンガ成立の起源は。マンガ著作権の問題は。
著者はマンガ表現論の限界を感じ、社会学的視点をとりいれた批評の新たな展開に向かっています。というわけでマンガ学はまだまだ始まったばかり。ああムズカシかった。
このように「批評地図」を書かれてしまうと、ひるがえってネットで駄文をだらだら書いている自分の立場は何なんだ、なんてね。ただ、ネット上のひとつひとつの作品評は印象批評であっても、面白い面白くないのひとことであっても、その集合こそ批評の原点、であると考えております。
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