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September 17, 2004

夏目房之介:マンガコラムニストの誕生(その1)

 将来、自伝か伝記が書かれるかもしれない(?)夏目房之介。もうじき、新しい著書が出る予定だそうで、楽しみですね。彼が自称するマンガコラムニストという言葉には、マンガ「のことを」書くコラムニストと、マンガ「で」書くコラムニストというダブルミーニングでしょうが、最近すっかり文章の人になってしまって、たまにTVで彼の描いたマンガを見ると(漱石の番組とか)ほっとします。

 わたしは夏目房之介のいい読者だったと自分では思ってます。なんせ週刊朝日の10年以上の連載中、ほとんど雑誌で読んでましたから(実はわたしが買ってたわけじゃなくて、実用書以外まったく本を読まないウチの親父が、唯一買ってた雑誌が週刊朝日だったんですね)。というわけで、新作評論を読む前に、夏目房之介の足跡を整理しておきましょう。同時代読者のひとりが彼をこう見ていた、というサンプルとしてお読みください。

○「デキゴトロジー」と「學問」

 「デキゴトロジー」は1978年に始まった週刊朝日の人気ページで、市井の実話、しかもお間抜けな珍談、奇談、笑い話を集めたもの。ここに「事件イラストレイテッド」のタイトルで、夏目房之介がこの実話を絵解きする1ページ連載も始まりました。マンガというかイラストというか。ストーリー性のある話のときはコマわりをして、統計的な話ではグラフを使って教科書のカットふう、スゴロクのように描いた絵も多かった。夏目房之介はこれで人気を得ます。「事件イラストレイテッド」は4年続いたあと、1982年から「學問」にタイトルを変え2ページ連載となりました。これはえんえんと1991年まで連載が続きます。

 「事件イラストレイテッド」は新潮社から「デキゴトロジーイラストレイテッド」「デキゴトロジーイラストレイテッド PART II」の2冊の単行本になり、「學問」は変則的ですが、朝日新聞社「夏目房之介の學問」、ネスコ「夏目房之介の恋愛学」、新潮社「新編 學問 虎の巻」の3冊にまとめられました。

 また「學問」からのスピンオフとして、性教育本の古典「閨の御慎みの事」「男女仕附方」「女閨訓」を「學問」ふうに絵解きした「マンガ・セクソロジー入門 男と女の法則」を、1987年祥伝社から発行しています。

 これらの記事の文章は、おそらくほとんどをライターが書いたものですが、「學問」の中でのちのマンガ評論の萌芽となる文章を夏目自身が書いている回があります。1983年「マンガ解剖学骨格私論」「マンガ解剖学骨格史論(上)(下)」、1985年「レディース・コミック概論(上)(下)」です。

 「骨格私論」はマンガキャラを骨格にしてみると、いかにこっけいなものかを笑ったものです。松本零士の描く女性・ゴルゴ13・エーベルバッハ少佐たちの骨格は変だ!というもの。ところが「骨格史論」になると、横山光輝の描くヒーロー・初期正太郎→後期正太郎→影丸の変化を指摘したり、歴史的に戦前の丸顔丸鼻が、戦後になって狐鼻派と丸鼻派に別れ、狐鼻の台頭の後、異常骨格や二重骨格の出現がヒーロー像の変化と同調している事を論じたりと、論考が深まっています。「レディース・コミック」のほうはプロットやストーリーの解剖と読者論。このあたりで夏目房之介は、現在とほとんど同じような事を始めました。

○初期の著作とテレビ

 1982年頃より夏目房之介は、マンガを模写したうえで評論するスタイルを開発し、マンガ評論家、研究家としてスタートします。

 「夏目房之介の漫画学」(1985年大和書房)は、主に1982年から1984年に各誌に書いたものを集めたもの。「夏目房之介の読書学」(1993年潮出版社)は、月刊コミックトムに1986年から1991年に連載したもの。「消えた魔球 熱血スポーツ漫画はいかにして燃えつきたか」(1991年双葉社)は、ナンバーに1988年から1991年に連載したもの。

 すでにみなもと太郎が「マンガ少年」で1976年より「漫画の名セリフ おたのしみはこれもなのじゃ」の連載を開始、マンガの模写と文章を並べる事を始めていました。みなもと太郎の知識と見識大爆発の傑作エッセイ。和田誠のパロディで、おそらく著作権問題をクリアする方便でもあったはずです。ただ模写そのものは、マンガを和田誠ふうに模写することがおしゃれ、という意図が主で、これを評論に役立てようとは考えていませんでした。

 夏目房之介の模写も、当然著作権問題から始まったはずです。すでに夏目房之介の評論はストーリーや構造を語る以上に、マンガ表現を語る事が多くなっていました。そのためには実例を出さなきゃどうにもならない。しかし引用でも、著者や出版社に許可をもとめていたのが当時の慣習です。そこで、えいやっと始めたのが模写による評論。それまで夏目がパロディマンガばかり描いていたという下地があったからでしょう。

 一方、模写する事は夏目房之介にとって、線や記号、構図、コマに対する考察を深める結果になりました。のちに手塚治虫を論じたとき、手塚の絵を自由に引用できるのに、あえて模写を使って論を進めることもしています。彼にとって模写は(1)著作権クリア(2)マンガ表現論の進歩(3)自身の考察の深化という3点で大きな武器になりました。

 1987年から1988年、夏目房之介はNHK教育テレビ「土曜倶楽部」の1コーナー「夏目房之介の講座」も担当しています。多くは自分の描いた絵を見せながら語るというもので、彼が雑誌でやっていた事を紙芝居にしたようなもの。現在の「マンガ夜話」での話芸はこの時期きたえられたものです。

 こうして1980年代末には、夏目房之介はマンガコラムニストをなのるようになりました。

 以下次回。

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