夏目房之介:マンガコラムニストの誕生(その3)
(前回からの続きです)
夏目房之介のマンガ作品として比較的新しいものに「名作」(全2巻、潮出版社)があります。月刊コミックトムに1992年から1996年まで連載されたもの。古今東西の名作のパロディで、夏目房之介としては三つ子の魂というか、スズメ百までというか。純粋オリジナルを作るより、すでにあるものをああだこうだとひねくりまわすのが、好きなんだなあ。ただこの本の中では、夏目自身が登場するエッセイマンガがもっとも面白かったりします。
○手塚治虫の死
1989年、手塚治虫が亡くなりました。戦後マンガ界最大の巨人であり、マンガ史どころか日本現代史の偉人である手塚は、生前から「神様」と呼ばれた人でした。没後しばらくはますます神格化され、批判されることはきわめてまれで絶賛の嵐。しかし、手塚治虫をマンガ史の中でどうとらえるか、彼の功罪は何なのか、これらを示していくことが、マンガ評論に残された宿題となりました。
これについてきちんと答えたのが、夏目房之介でした。1992年に発行された「手塚治虫はどこにいる」こそ、手塚治虫がどのような思想を持ち、どのように表現したかを追求した初めての本です。
手塚治虫の生前、神様・手塚の全体像を評論したものは意外なほど少なく、作品やキャラクターを紹介したものがほとんど。石上三登志「手塚治虫の奇妙な世界」(現在「定本 手塚治虫の世界」に増補改訂)などもありましたが、厳密にいうと評論というよりファンの書いたラブレターという趣のものでした(でも、だからこそステキな本ではありましたが)。
夏目房之介は「手塚治虫はどこにいる」で、最初に手塚マンガのスタートが戦争体験であることを述べ、最終章では手塚の描いた生・死を語ります。そして、それにはさまれた各章では、自身の模写などを使って手塚治虫のマンガ表現が戦後マンガをどのように進歩させたか、そしてその限界はなんだったかを考察。これまで夏目が開発してきた手法を使い、手塚治虫の生涯と作品、さらには戦後マンガ史をわれわれがどうとらえるべきかを教えてくれました。まさに中野翠が言うように、「とにかく手塚治虫のことは一度キッチリ落とし前をつけておかないことには、自分は先に進めない」状態であった読者に対する導きの書。
1995年「手塚治虫の冒険」は手塚治虫に関する講義録を改稿したもの。前著とダブるところはほとんどなく、さらに考察を加え、他の作家にも言及したもの。前著と合わせてこの2作は、戦後マンガ史を作品の羅列でなく、表現の進歩から考えるという新しい視点を読者に示すものとなりました。
もうちょっとだけ続きます。
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