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September 30, 2004

せっかく出版するのなら:韓国マンガ「食客」

 幻冬舎から韓国マンガが2冊発売されてます。ホ・ヨンマン作「韓流マンガ 幻のチゲ鍋」と「韓流マンガ 究極のキムチ」です。表紙には書いてませんが、それぞれ「食客」という作品の1巻と2巻です。

 オビに「韓国版 美味しんぼ」とあります。主人公ソンチャンは、最高の食材をあつかう行商人。ガールフレンドのジンスは「週刊ポイント」の味コラム担当記者。ふたりは韓国の真の味を求めていろんな人と出会います。多くは人情話系。

 ソンチャンはかつて期待された料理人であったという秘密があったりしますが、2巻であっさり過去は明かされます。食にからめた人情話という点で「美味しんぼ」と同じですが、大きな違いは韓国料理だけを扱っているところと、「美味しんぼ」というか日本料理マンガの得意技・料理勝負が1回ぐらいしかでてこないところでしょうか。

 絵はうまく、構成にも破綻がなく端正。ただその分、最近の韓国映画やTVのような破天荒な面白さは期待できません。マジメな大人のためのマジメなマンガになってます。残念ながら、日本の読者をひきつける力はもうひとつかな。

 日本でマンガといえば国内マンガしか読めないという状況を少しでも変えるために、こういう出版は大歓迎です。ただし、この日本語版、注釈・解説がまったくありません。だもんで、わかりにくいったらありゃしないぞ。

 たとえば料理の名。セベンイメウンタンってなんだよ。セベンイってのは海老らしいんですが、メウンタンって普通の鍋と違うの? コチュジャンクルビ、ジャンジョリム、コムタン、トンチミ、チョンゴルって何? プデチゲのプデってハムとソーセージのことなのか?

 冷たいミスカルって商品名か? ハングルの看板の意味は? 韓国で話題になった女子大生とタイヤキ屋の結婚ってなんのこと? ソンチャンとジンスの名をあわせて「ジンスソンチャン」が何かのシャレになってるらしいんですが、ちゃんと説明せんかっ。

 ちょっとの工夫で、韓国の文化を知るいい教材になったかもしれないのに。韓流ブームに乗っただけのやっつけ仕事はやめていただきたい。

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September 29, 2004

マンガとエロ

 青少年諸君へ。若いときのエロ本は、買えるだけ買っておきたまえ。

 わたしもマンガ好きを自称するからには、いちおー、エロいマンガも買うわけですが、全然くわしくありません。この手のものも、どうしても古いモノが中心になっちゃうんですよね。ケン月影とか笠間しろうとか、そっち系。最近はダーティ・松本、はらざきたくま、貴田光一(菓子山美里)あたりのファン。ただ、エロいマンガを買って帰ると同居人がうるさいんだよ、これが。

 若いときはねー、いくらでも買い放題だったんだけどー、今はそうもいかんの。先日もベッドに寝っ転がって大暮維人「NAKED STAR」(著者ひさしぶりの成年モノ)を読んでたところへ同居人の足音が。わたしもだてに長年エロ本を読んできたわけじゃありませんから、「NAKED STAR」をぱっと机の上に置き、「創」なんぞを読んでるふりをしますね。いや、別にやましいことは何もないっ。ただ、なんでこの年になって隠れてエロ本を読むなんてことしなきゃならんのか、ここはわしの家とちゃうんかい。

 で、同居人が本を見つけて「なに、これ」
「なにって、こないだ買うたやつや」
「いやー、エロ本やん」
「いや、メジャーな作家なんよ、この人」
「どうみても、エロ本や。あんたはそんなにわたしがキライか」

 いったいどういう思考回路でこんな話の流れになるのか謎です。わたしとしては、エロいマンガが日本においていかに一大勢力となっており、これを無視しては、マンガは語れんっ、と正論をこんこんと語るわけですが、結局、時間かけるだけムダ。不幸な結末が待っているだけです。

 さて、ゲイマンガというものがありまして、田亀源五郎とか山川純一とか。これも日本のマンガを考える上では、避けては通れまいっ、というわけなんですが、やはり同居人の眼が(ちょっとだけ)コワい。で、先日発売されたのが、山田参助「若さでムンムン」。発売は太田出版だし、表紙の絵はポップだし、普通の書店で売ってるし。買いました。

 なるほど、ゲイマンガでは、デブのオールヌードを1ページブチ抜きで描くか、そうか。山田参助の軽さはいいなあ、と読み終わって書棚に放り出しておいたところ、同居人に見つかりました。いや、まあ見つかってもしょうがないかな、という気分でしたし、もし隠しておいたのを見つけられたときどうなるか、そっちのほうがオソロシイ、と考えてたんですね。

 …甘かった。

 いや、マンガ読みの道は険しい。

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September 28, 2004

平田弘史「血だるま剣法」復刊

 本年5冊目の平田弘史の単行本は、長らく幻とされていた「血だるま剣法」の復刊「血だるま剣法・おのれらに告ぐ」(青林工藝舎)です。原著は1962年日の丸文庫から発売。もちろん貸本用単行本。同書は差別問題のため、回収廃棄処分となったとされていました。

 1987年発行の日本文芸社・平田弘史選集第2巻所収の桜井昌一の文章から。桜井昌一は大阪出身の劇画家。「ぼくは劇画の仕掛け人だった」の著書もあります。

・そして昭和三十七年。被差別部落出身の主人公を扱った平田の単行本「血だるま剣法」が、部落の存在を流布する悪書として、部落解放同盟や、その他の組織から問題視された。激烈な抗議が「光伸書房」(当時は日の丸文庫)にとどいた。それはほとんど脅迫的といってもいいほどのものであったらしい。「光伸書房」の関係者は、大阪市西成区にある組織の本部に再々呼び出され、同盟側の膝詰め談判が行なわれた。(略)つまるところ、この悪書事件は、「光伸書房」が、全国の貸本店から「血だるま剣法」を回収し、解放同盟に手渡すこと、同盟の監修による改作を出刊すること、担当の編集者の首を斬ることで落着した。

 次は2004年発行、青林工藝舎「日本凄絶史」の平田弘史年譜から。おそらくは平田自身の言葉ではないかと思われます。

・「魔像」別冊の「血だるま剣法」が部落解放同盟からの抗議を受ける。同盟は本の回収と焼却を希望したため、日の丸の社長と共に本を持参(実際は数冊しか回収できず、焼却された可能性は極めて低い。)和解の条件として同盟側の監修による改訂版を描くという案が出たが、用意された原作は劇画化しにくいもので、再度書き直しを依頼したものの実現には至らず、他の作品も描けず解決までの数ヶ月は仕事にならなかった。次の作品「刺客と少年」その「改定版」に当たるが、結局ストーリーは同盟の原作ではなくオリジナルで、この本の奥付に「お詫び」を入れることで決着がつく。

 復刊された「血だるま剣法・おのれらに告ぐ」の呉智英の解説では、事件を報じた毎日新聞の記事が読めます。

 記事中には、日の丸文庫は部落解放同盟大阪府連に「第一回分」として142冊を引き渡したとありますが、呉智英は実際に回収と引渡しが百冊単位でおこなわれたかどうか不明であるとしています。のちに日の丸文庫に編集者として入社した山松ゆうきち・山上たつひこが、同社の倉庫にある大量の「血だるま剣法」を目撃したそうです。実際に今回、復刊された青林工藝舎版の原本を提供したのは山松ゆうきちです。

 今回の青林工藝舎版には、平田弘史自身がのちに「血だるま剣法」をリメイクした「おのれらに告ぐ」も同時収載されています。芳文社「コミックmagazine」1968年1月9日号に掲載されたもの。この作品は、1987年日本文芸社・平田弘史選集第1巻のタイトルにもなり、巻頭に収録。著者自身の思い入れを感じました。

 「血だるま剣法」の主人公・被差別部落部落出身の幻之介は、剣で大名になり将軍に近づき、差別制度をなくしてくれるよう頼むために剣の稽古にうちこみます。しかし、彼のあまりに凄絶な稽古は同僚から忌避される事になります。ついに剣の師に裏切られた事を知ったとき、幻之介は師を殺し、同僚たちを次々と襲い殺人を繰り返していきます。そして、ここからが奇想なのですが、四肢を斬られ、なくした幻之介は、残った両上腕に剣を結わえ付け、訓練で腹をうろこ形に変形させ這いずり回り、高所より飛び降り斬りつけるという剣法を開発します。そして彼に対するのは、かつて彼に両上肢を切られ、含み針を使い、口に剣をくわえる剣士や、兜に長い剣を取り付けた剣士たち。

 作品のテーマは明らかに差別に対する怒りでしたが、著者が差別問題に対して勉強が足らなかったのは確かなようです。ただしこの作品が抗議の対象になったのは、ひとつには奇想が過ぎたからではないでしょうか。この剣法は敵も味方もトンデモなさすぎ。差別を扱った作品にしては不真面目だと考えられたのでしょう。

 わたし自身は、すべての創作が自由に発表されるべきとは考えていません。ある程度の規制はあってしかるべきと思っています。ただし抗議と反論は密室でなされてはならず、公の場での議論されるべきでしょう。差別問題は差別された人間とひとつの出版社の問題でなく、社会全体の問題と考えるからです。議論なしの抗議→自粛の繰り返しは生み出すものがあまりに乏しい。

 リメイクの「おのれらに告ぐ」では、次の点が「血だるま剣法」と異なります。

1)主人公の出身を「流刑人の子孫」であるとはっきりさせる。
2)主人公の目的を「大名になる」といった夢物語でなく、「希望の抱ける道を開拓したい」と身近なものに。
3)主人公が物乞いの女とその子を助けるエピソードを追加。実は正義の士であったと。
4)主人公は四肢を斬られることなく、片足をなくすのみ。ですから「だるま」剣法は存在しなくなりました。

 残念ながら奇想に満ちた「血だるま剣法」には及びませんが、著者がリメイクにあたり真摯な立場で臨んだことがよくわかります。

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September 25, 2004

窓から窓へ

 田丸浩史「ラブやん」1巻からの引用。

・幼なじみの女の子
・学校はずっといっしょ
・隣に住んでて窓ごしに会話が可能

あんたねー!! こんなマンガと
ギャルゲーの中にしか存在しないよーな
あからさまなイイ シチュエーションで
ナニやってんのよ
もったいない!!

 さて、この「マンガとギャルゲー」だけの設定が「モンキーターン」の中に出てくるわけですが、この元祖とは。昨日も書きましたが、石森章太郎「気ンなるやつら」ではないかと(もっとビッグな作品を忘れてるような気もするんですが)。

 「気ンなるやつら」は1965年1月から1968年6月まで「平凡」に連載。主人公は高校生のマリッペと、隣に住む同級生の六村六ベエ(あだ名はダブル6だよ、書いてて恥ずかしいな)。隣同士に住む幼なじみで、部屋が2階にあって向かい合ってる。屋根づたいに行き来できる。「モンキーターン」とまるきり同じと思ってください。

 彼らがハイキングに行ったり、スキーに行ったりするお話。日常のデートの回もあるんですが、現代のマンガと違うのは、ギャングとかスパイ団のおこす事件にまきこまれるところ。ここはいかにも60年代ですねえ。60年代というのは、言ってみれば、007とビートルズと若大将。マリッペと六ベエも、高校生とはいいながら、その行動様式は若大将風大学生そのもの。「ストップ!にいちゃん」の勇一くんが、中学生のくせに犯罪に巻き込まれたりしながら若大将のような活躍をするのも、60年代気分ですね。

 さて、窓と窓が向かい合ってるマリッペと六ベエは、単なるオトモダチではありません。明らかに恋人同士。そして屋根を伝って窓から部屋にはいってくるのは、男のほうじゃなくて女の子。このシーンも「モンキーターン」で踏襲されてました。

 だいたいドアからじゃなくて「窓から」はいるってのは、ラプンツェルでもドラキュラでも、セックスを連想させます。たしかアチラのホラー映画にも2階の男の部屋に窓からこっそりはいる女の子、というのがありました。これはドキドキするシチュエーションだよねー。まして「気ンなるやつら」では窓が向かい合ってるから、日常的に行ったり来たり、いくらでもできちゃう。

 これこそ、軒と軒を接するという日本の劣悪な住宅事情が生んだ、偉大な発明というべきでしょう。

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September 24, 2004

「モンキーターン」にひとこと

 洞口、もっと言ってやれっ。

 主人公・波多野は、ハンサムで、金持ちで、モッテモテで、しかもフタマタかけてて、女の敵で、かつ男の敵で、というマンガ史上最悪の、読者の敵No.1の奴なわけですが、ライバル・洞口も、ハンサムで、金持ちだけど、結婚を申し込んだ青島を主人公に横取りされるという、マンガ史上最低のヘタレ敵役です。

 サイテー同士の決戦を前にして、彼女を盗ったのフタマタの、とイヤミを言う、ナサケナイ盛り上がり。一応、オタク読者としては、ここは洞口を応援すべきでしょう。女をとられたお前の気持ちはよくわかるぞ、ウンウン。

 「モンキーターン」を知らないヒト(そんな人はココ読んでないか)に設定を御紹介。

 主人公・波多野(7月25日生まれ)、恋人・澄ちゃん、同期の洞口(♂、9月1日生まれ)、青島(♀、3月7日生まれ)みんな同学年。波多野と澄ちゃんは家が隣どうしの幼なじみ、二階にある部屋の窓が向かい合ってて、屋根づたいに行き来できるというラブコメ定番パターン(石森章太郎「気ンなるやつら」ですな)。高校卒業後、競艇学校を1年2ヵ月かけて卒業。1998年6月デビュー(7巻)、8巻で1999年、10巻2000年、14巻2001年。16巻ではハワイへの波多野一家の家族旅行に、澄ちゃん連れて行ってます。18巻で2001年10月ダービー優勝。19巻2002年、24巻2002年ダービー二連覇。26巻で2003年、で今、連載中のが2003年10月ダービーです。

 というわけで、登場人物、全員25歳から24歳。おとなじゃん。

 まあちょっとすわんなさい、波多野と澄ちゃんもねー、ずーっと家族公認のステディなんだから、その年になったらヤることはヤってるでしょうがっ。それで他のオンナに告白されたからって「オレもおまえが好きだ」ってのはどうよ。しかもそれをわざわざ澄ちゃんに言うか。ふたりとも好きだとはなにごとかっ。「男の責任」ってのは死語かっ。

 でもって、澄ちゃん、ここで引くの。そういう耐える女の役回りは、現代マンガの登場人物としてどうなの。同世代向けの少女マンガ誌を覗いてごらんなさい。みんな、バンバン恋愛して、バンバンヤって、バンバン子供作ってんのよ。いくら少年マンガの登場人物だからって、引きすぎじゃないかい。それとも洞口とくっつくつもりなの? あいつは性格悪いよー。オススメしません。

 さらに青島、あーたにも言いたい。澄ちゃんはご近所なわけだ。下町の商店街のヒトもみんなふたりの仲をずーっとご存知なわけ。そんなところに入ってって、まわりの目は白いよー、波多野の家族もご近所も。澄ちゃんとか彼女の親とも顔合わすよー。それとも本気で、日陰のオンナを続けるつもり?

 いかに少年マンガのセックス規範が古典的で、いまだに風呂の覗きとかパンチラレベルが続いているとはいえ、高校生なんかじゃなくて、もうみんなケッコウなおトシなんだからさあ、もっとちゃんとしなさいっ。

 以上、後半はウチの同居人のご意見でした。(いやけっして文責を逃れてるわけでは…)

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September 23, 2004

雑誌の終わらせ方:「斬鬼」の場合

 雑誌というのはどんなものでもいずれ終わってしまうものですが、終わり方もいろいろ。発展解消というのもあれば、不幸な終わり方も。まあ、後者がほとんどなんでしょうが。

 少年画報社「斬鬼」が、今発売中の10月号で休刊のようです。2000年発行の時代劇マンガ誌。隔月刊ということもあり、人の目に触れる事が少なかったんじゃないかしら。今年の初めごろ、この雑誌を探していろんな書店やコンビニをめぐりましたが、結局見つからず。売り切れてたんじゃなくて、わたしの住んでる周囲では、取り扱い自体をしてなかったんですね。これじゃ売れないよなあ。しょうがないので390円の雑誌を書店注文しちゃいましたよ。

 他の多くの時代劇マンガ誌と同様に、再録半分、新作半分の雑誌でした。雑誌の顔は神田たけ志・小池一夫「御用牙」の再録。平田弘史も毎号旧作を再録。最近の評判作は手塚治虫文化賞をとった、もりもと崇「難波鉦異本」。最近刊行された、みなもと太郎「挑戦者たち」も「斬鬼」に連載されたもの。みなもと太郎は最近、自身のじいちゃんの話「松吉伝」を連載中でした。

 最終号のひとつ前ではバロン吉元の新連載も始まってたし、最終号ではなんと、あの、ふくしま政美「ケミストリー」(原作・あかね胡茄)が巻頭カラー新連載。60ページもかけて主人公の能力が何も発揮されていないというプロローグ段階なので、お話としてはなんとも言いようがないんですが、ふくしま政美の絵の魅力は十分。

 最終号巻末には「斬鬼休刊 足掛け5年ご愛読感謝 バックナンバーに見る時代劇マンガの系譜」と題しまして、全23号の書影と掲載作の紹介があります。こういうのを読むと、編集者がこの雑誌を愛していたんだなあと想像される。「斬鬼」の終わり方はいい終わり方でした。でも、「次号は年末発行予定!」とあって、休刊したんかい、してないんかいっ。どっちにしても、連載作品の身の振り方はちゃんとカタつけてね。

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September 20, 2004

夏目房之介:マンガコラムニストの誕生(その4)

(前回からの続きです)

○マンガ表現論の成果

 戦後マンガ評論のなかで最重要と考えられる一作は何か。わたしは間違いなく「別冊宝島EX マンガの読み方」(1995年宝島社)であると考えます。いやホントにそう思ってます、これ以上の基礎研究はない。

 マンガ評論はきわめて遅れた分野でした。なぜか。まず、マンガの歴史が浅い事。子供マンガは戦前、サブカルチャーの一分野にすぎず、評論はこのようなものまで相手にするほど目配りしていたわけではない。一方、大人マンガは一枚絵の世界で、ほとんどユーモア・ジョークの文脈で語られているだけでした。戦後子供マンガは手塚治虫で始まりましたが、語られるべき作品の蓄積には時間がかかります。戦後50年のマンガの進歩が、この本の刊行をうながしたともいえます。

 そして、マンガ評論はそれまで、ストーリー・テーマを語る事しかできなかった。マンガをもっともマンガたらしめている、絵を、コマを、表現を、語る言葉をまだ持っていなかったのです。たとえば、田河水泡が発明したとも伝えられる、歩くとき足のうしろにできる土煙。これをどのように呼ぶかも決まっていない。わたしたちがマンガの読むにあたって、無意識に納得しているルールを説明できていませんでした。

 「マンガの読み方」は夏目房之介・竹熊健太郎を中心としたグループの著作。執筆量がもっとも多いのは夏目房之介です。この本は、マンガはなぜマンガとして成り立っているのか、読者は記号の集まりであるマンガをどのように読む事ができているのかを、解明しようとした意欲作です。夏目房之介自身においても、この本はそれまでの自身の研究成果の上にたち、総論的なものをめざして書かれました。

 各章は以下のとおり。「マンガとは『線』である」「マンガという『記号』」「『言葉』がマンガを規定する」「マンガをマンガにしているのは『コマ』である」

 線の問題はむずかしい。これまでの評論の中では「中性的な線」「絵画的な線」「デザイン的な線」「有機的な線」などとわかったような、わからないような言葉で語られてきました。本書はこの線の問題に多くのページを割き、できるだけ具体的に説明を試みました。

 記号の章では、「形喩」「漫符」という言葉を提案。とくに後者は一般的になったかなあ。それぞれの漫符の意味を解説してくれます。漫符はマンガ表現の進歩に大きく寄与した発明ですが、日本マンガ、海外マンガの差で、わたしがもっとも気になるのはこの漫符の問題です。わたしたち日本人にはお約束として自明の事である漫符の意味は、他国のひとにわかるのか。これは日本マンガが世界進出するときの障害にはならないのか。

 言葉の章では「音喩」「吹きだし」などを考察。言葉については、さすがに各国それぞれの文字、擬音があるわけですから、もっとも多様性のある部分。

 コマの章はその多くを夏目房之介が書いています。コマこそ、現代マンガをマンガとして成立させているものであり、研究してもしつくせぬもの。夏目房之介ももっとも力をいれている部分ですが、残念ながら、これでもまだ不十分。1998年にスコット・マクラウドの「マンガ学」が発行されましたが、ここには「マンガの読み方」では触れられていないコマ内部での時間経過を指摘しており、刺激的でした。このようにコマ研究にはきっとまだまだなされるべきことが残っているはずです。

 「マンガの読み方」はマンガ各論ではなく、今後のマンガ研究の基礎となるべきものを示した教科書といえるもの。ただ基礎研究はまだまだ不十分。「マンガの読み方」に続くマンガ表現についてのまとまった本といえば、上記「マンガ学」と、長谷邦夫「マンガの構造学!」(2000年)ぐらい。今後もっともっと読みたい分野です。「マンガの読み方」は現在手に入らない本になっているようですが、後世に残すべき名著である上、娯楽としてもムチャ面白い。なんとかならないものでしょうか。

○それから

 その後の夏目房之介の仕事については細かく触れません。ただ「マンガ 世界 戦略」(2001年小学館)で、夏目房之介はマンガ表現以外の分野に進出しています。世界の中の日本マンガ、文化と同時に商品としてのマンガが視野に加わりました。これは本来、夏目以外の人のするべき仕事のように思われますが、世界のマーケットの中で日本マンガビジネスは甘い、情けない、誰も言わないならわたしが言いましょう、ということでしょうか。エライなあ。

 というわけで、夏目房之介の仕事はまだまだいっぱいあるようです。

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September 19, 2004

夏目房之介:マンガコラムニストの誕生(その3)

(前回からの続きです)

 夏目房之介のマンガ作品として比較的新しいものに「名作」(全2巻、潮出版社)があります。月刊コミックトムに1992年から1996年まで連載されたもの。古今東西の名作のパロディで、夏目房之介としては三つ子の魂というか、スズメ百までというか。純粋オリジナルを作るより、すでにあるものをああだこうだとひねくりまわすのが、好きなんだなあ。ただこの本の中では、夏目自身が登場するエッセイマンガがもっとも面白かったりします。

○手塚治虫の死

 1989年、手塚治虫が亡くなりました。戦後マンガ界最大の巨人であり、マンガ史どころか日本現代史の偉人である手塚は、生前から「神様」と呼ばれた人でした。没後しばらくはますます神格化され、批判されることはきわめてまれで絶賛の嵐。しかし、手塚治虫をマンガ史の中でどうとらえるか、彼の功罪は何なのか、これらを示していくことが、マンガ評論に残された宿題となりました。

 これについてきちんと答えたのが、夏目房之介でした。1992年に発行された「手塚治虫はどこにいる」こそ、手塚治虫がどのような思想を持ち、どのように表現したかを追求した初めての本です。

 手塚治虫の生前、神様・手塚の全体像を評論したものは意外なほど少なく、作品やキャラクターを紹介したものがほとんど。石上三登志「手塚治虫の奇妙な世界」(現在「定本 手塚治虫の世界」に増補改訂)などもありましたが、厳密にいうと評論というよりファンの書いたラブレターという趣のものでした(でも、だからこそステキな本ではありましたが)。

 夏目房之介は「手塚治虫はどこにいる」で、最初に手塚マンガのスタートが戦争体験であることを述べ、最終章では手塚の描いた生・死を語ります。そして、それにはさまれた各章では、自身の模写などを使って手塚治虫のマンガ表現が戦後マンガをどのように進歩させたか、そしてその限界はなんだったかを考察。これまで夏目が開発してきた手法を使い、手塚治虫の生涯と作品、さらには戦後マンガ史をわれわれがどうとらえるべきかを教えてくれました。まさに中野翠が言うように、「とにかく手塚治虫のことは一度キッチリ落とし前をつけておかないことには、自分は先に進めない」状態であった読者に対する導きの書。

 1995年「手塚治虫の冒険」は手塚治虫に関する講義録を改稿したもの。前著とダブるところはほとんどなく、さらに考察を加え、他の作家にも言及したもの。前著と合わせてこの2作は、戦後マンガ史を作品の羅列でなく、表現の進歩から考えるという新しい視点を読者に示すものとなりました。

 もうちょっとだけ続きます。

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September 18, 2004

夏目房之介:マンガコラムニストの誕生(その2)

(前回からの続きです)

 わたしはこの時期の夏目房之介の諸作が大好きです。模写してみるとこんなこともわかった、あんなこともわかったと、新しい手法でマンガを分析して得られた知見に、驚き、興奮し、語ってくれる。サークルの部室や友人の部屋で話を聞いているような楽しさでした。

 評論の進歩には、ジャンルの成熟が先行する必要があります。当時、戦後マンガは、手塚治虫、劇画、少女マンガをすでに経験し、ニューウエイブのブーム去りつつあるとき。1970年前後の政治的・社会的マンガ評論の時代には評論の対象となるべきマンガもまだまだ未熟でしたが、時代を経て1980年前後にはマンガ表現も十分に成熟しつつありました。

 この時代、マンガ評論にも新時代作家が登場してきます。1978年末、「まんぱ」→「だっくす」と名称変更してきたマンガ評論誌が「ぱふ」として再出発。1979年村上知彦「黄昏通信」、橋本治「花咲く乙女たちのキンピラゴボウ」、1980年米沢嘉博「戦後少女マンガ史」。1981年、旧「ぱふ」が「ふゅーじょんぷろだくと」と新「ぱふ」に分裂。1986年呉智英「現代マンガの全体像」。夏目房之介の一連の評論もこの流れの中で出てきたものでした。

○マンガ家としての夏目房之介

 夏目房之介は、もちろん、最初からマンガコラムニストなろうと思っていたわけではなくて、めざしていたのはマンガ家でしょう。夏目が筒井康隆のマンガにアシスタントとして参加した経験も語られていますしね。

 「月刊OUT」のサイトで夏目房之介を検索すると9つヒットします。このうちマンガ作品は7作。最も古いのが1978年9月号「8マン氏の最後の生活」(エイトマンでなく8マンと表記するなら、これは漫画版のパロディであるはずですが)。1979年に「ウルトラ家の一族」「仮面ライダーの復活」「ALIEN」、1980年に「イージー・スクール」「シランケンシュタインの逆襲」、最後の作品は1981年3月号の「鉄人28面相」でした。OUTという雑誌の性格もあって、これらの作品はすべてパロディです。OUTでは「アニパロ」としてひとくくりにしてました。OUT同期のゆうきまさみと比較して、夏目房之介の絵は萌え度が低かった。

 この時期の作品は「ザッツ・パロディ」(1981年サン出版)にまとめられ、のちに「戯漫主義の復活」(1986年けいせい出版)として再刊されました。OUT以外の雑誌としては、ヤングコミック、漫画スーパーギャンブルなど。1977年〜1981年の作品群です。分類としては、デキゴトロジー調の絵で描かれたギャグマンガ。

 このうち1979年ヤングコミック掲載「あの人の秘密」には、「學問」の「マンガ解剖学骨格私論」と同じく松本零士の描く女性の骨格がすでに登場しています。夏目がパロディマンガの模写の中で、のちの評論活動につながる発想を得ていたということでしょうか。

 「月刊マンガ少年」では1981年1月号から5月号(最終号)まで、「スペースドリフターズ」というSFマンガ(だったっけ?)を連載していました。マンガ少年は全冊そろいで持ってましたが、家族に捨ててしまわれましたので(シクシク)、現物は手許にありませんが、残念ながら傑作とはいいがたかったような気が。

 1980年には「粋なトラブル」シリーズを芸文社「漫画天国」に連載(未見です)。1984年に「恋の病 治療法序説」シリーズを同誌に連載。ともに大人の恋をテーマにしたマンガ。後者は他の数作品とともに1989年「夏目房之介の恋愛学」に収めれています。おそらくこの本所収の恋愛マンガが、夏目房之介のマンガ家としてのベストワークでしょう。でも、はっきりいって余技です。夏目房之介はすでに、マンガも描くマンガ評論家になっていました。

 まだ続きます。

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September 17, 2004

夏目房之介:マンガコラムニストの誕生(その1)

 将来、自伝か伝記が書かれるかもしれない(?)夏目房之介。もうじき、新しい著書が出る予定だそうで、楽しみですね。彼が自称するマンガコラムニストという言葉には、マンガ「のことを」書くコラムニストと、マンガ「で」書くコラムニストというダブルミーニングでしょうが、最近すっかり文章の人になってしまって、たまにTVで彼の描いたマンガを見ると(漱石の番組とか)ほっとします。

 わたしは夏目房之介のいい読者だったと自分では思ってます。なんせ週刊朝日の10年以上の連載中、ほとんど雑誌で読んでましたから(実はわたしが買ってたわけじゃなくて、実用書以外まったく本を読まないウチの親父が、唯一買ってた雑誌が週刊朝日だったんですね)。というわけで、新作評論を読む前に、夏目房之介の足跡を整理しておきましょう。同時代読者のひとりが彼をこう見ていた、というサンプルとしてお読みください。

○「デキゴトロジー」と「學問」

 「デキゴトロジー」は1978年に始まった週刊朝日の人気ページで、市井の実話、しかもお間抜けな珍談、奇談、笑い話を集めたもの。ここに「事件イラストレイテッド」のタイトルで、夏目房之介がこの実話を絵解きする1ページ連載も始まりました。マンガというかイラストというか。ストーリー性のある話のときはコマわりをして、統計的な話ではグラフを使って教科書のカットふう、スゴロクのように描いた絵も多かった。夏目房之介はこれで人気を得ます。「事件イラストレイテッド」は4年続いたあと、1982年から「學問」にタイトルを変え2ページ連載となりました。これはえんえんと1991年まで連載が続きます。

 「事件イラストレイテッド」は新潮社から「デキゴトロジーイラストレイテッド」「デキゴトロジーイラストレイテッド PART II」の2冊の単行本になり、「學問」は変則的ですが、朝日新聞社「夏目房之介の學問」、ネスコ「夏目房之介の恋愛学」、新潮社「新編 學問 虎の巻」の3冊にまとめられました。

 また「學問」からのスピンオフとして、性教育本の古典「閨の御慎みの事」「男女仕附方」「女閨訓」を「學問」ふうに絵解きした「マンガ・セクソロジー入門 男と女の法則」を、1987年祥伝社から発行しています。

 これらの記事の文章は、おそらくほとんどをライターが書いたものですが、「學問」の中でのちのマンガ評論の萌芽となる文章を夏目自身が書いている回があります。1983年「マンガ解剖学骨格私論」「マンガ解剖学骨格史論(上)(下)」、1985年「レディース・コミック概論(上)(下)」です。

 「骨格私論」はマンガキャラを骨格にしてみると、いかにこっけいなものかを笑ったものです。松本零士の描く女性・ゴルゴ13・エーベルバッハ少佐たちの骨格は変だ!というもの。ところが「骨格史論」になると、横山光輝の描くヒーロー・初期正太郎→後期正太郎→影丸の変化を指摘したり、歴史的に戦前の丸顔丸鼻が、戦後になって狐鼻派と丸鼻派に別れ、狐鼻の台頭の後、異常骨格や二重骨格の出現がヒーロー像の変化と同調している事を論じたりと、論考が深まっています。「レディース・コミック」のほうはプロットやストーリーの解剖と読者論。このあたりで夏目房之介は、現在とほとんど同じような事を始めました。

○初期の著作とテレビ

 1982年頃より夏目房之介は、マンガを模写したうえで評論するスタイルを開発し、マンガ評論家、研究家としてスタートします。

 「夏目房之介の漫画学」(1985年大和書房)は、主に1982年から1984年に各誌に書いたものを集めたもの。「夏目房之介の読書学」(1993年潮出版社)は、月刊コミックトムに1986年から1991年に連載したもの。「消えた魔球 熱血スポーツ漫画はいかにして燃えつきたか」(1991年双葉社)は、ナンバーに1988年から1991年に連載したもの。

 すでにみなもと太郎が「マンガ少年」で1976年より「漫画の名セリフ おたのしみはこれもなのじゃ」の連載を開始、マンガの模写と文章を並べる事を始めていました。みなもと太郎の知識と見識大爆発の傑作エッセイ。和田誠のパロディで、おそらく著作権問題をクリアする方便でもあったはずです。ただ模写そのものは、マンガを和田誠ふうに模写することがおしゃれ、という意図が主で、これを評論に役立てようとは考えていませんでした。

 夏目房之介の模写も、当然著作権問題から始まったはずです。すでに夏目房之介の評論はストーリーや構造を語る以上に、マンガ表現を語る事が多くなっていました。そのためには実例を出さなきゃどうにもならない。しかし引用でも、著者や出版社に許可をもとめていたのが当時の慣習です。そこで、えいやっと始めたのが模写による評論。それまで夏目がパロディマンガばかり描いていたという下地があったからでしょう。

 一方、模写する事は夏目房之介にとって、線や記号、構図、コマに対する考察を深める結果になりました。のちに手塚治虫を論じたとき、手塚の絵を自由に引用できるのに、あえて模写を使って論を進めることもしています。彼にとって模写は(1)著作権クリア(2)マンガ表現論の進歩(3)自身の考察の深化という3点で大きな武器になりました。

 1987年から1988年、夏目房之介はNHK教育テレビ「土曜倶楽部」の1コーナー「夏目房之介の講座」も担当しています。多くは自分の描いた絵を見せながら語るというもので、彼が雑誌でやっていた事を紙芝居にしたようなもの。現在の「マンガ夜話」での話芸はこの時期きたえられたものです。

 こうして1980年代末には、夏目房之介はマンガコラムニストをなのるようになりました。

 以下次回。

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September 16, 2004

あすなひろしの想い出

 一知全解さんからトラックバックをいただきまして、それに刺激されて、わたしのあすなひろし体験を。あすなひろしを初めて読んだのは虫プロ「COM」に掲載された諸作品でした。

・300,000 km/sec:1968年1月号
 SFです。光速を出すロケット+ナチス+悲恋。

・美女ありき:1968年1月号
 「ストーリーまんが家によるギャグまんが集」という特集の中の4P。

・その日、ノース=ビルは、雪:1969年2月号
 自動車事故をめぐる悲劇。

・ジュニアの絵本 西部の唄:1969年8月号
 西部劇イラストと訳詩。

・巣立ち:1970年4月号
 おじ、おいの家族愛。

・スウという名の童話:1970年11月号
 巻頭2色。ベトナム戦争をめぐる幻想。

・桔梗:1971年11月号
 時代劇。武将の姫と盗賊の愛。

 どれも繰り返し読んだ作品です。今回ひっぱりだしてきて久しぶりに読み返しましたが、覚えてるものですね。

 1972年にあすなひろしは第18回小学館漫画賞受賞。「COM」という雑誌は1972年には消滅してしまっていましたが、1973年3月に「別冊COMコミック」というかたちで「あすなひろし自撰集 からじしぼたん」が発行されました。収録は以下のとおり。

・からじしぼたん:少年ジャンプ1971年9号
・ぼくのとうちゃん:少年ジャンプ1971年32号
・青い麦萌える:漫画アクション1969年26号
・武蔵野心中:ビッグコミック1971年21号
・寒いから早く殺して:漫画アクション1968年54号
・わたしが殺した女:漫画アクション1971年7号
・走れ!ボロ:女学生の友1972年5月号(受賞作)
・とうちゃんのかわいいおよめさん:少年ジャンプ1972年52号(受賞作)
・山ゆかば!:少年ジャンプ1970年43号

 実はわたしは少年チャンピオン掲載の「青い空を、白い雲がかけてった」につながる、少年ジャンプ系の諸作(親子モノ)より、青年マンガの方が好きでした。タイトルからして何か悲しい感じ。これらでは、COM掲載作でもそうでしたが、登場人物の恋はけっして成就することなく、多くは死で終わります。悲劇的結末が1970年前後の気分とでもいいますか。

 ストーリーを言葉にすると、陳腐かもしれない。でもあすなひろしはお話を描くんじゃなくて、人生を描こうとしました。彼の描く人物は生き、悩み、苦しみ、読者をその場に立ち合わせる。読者は登場人物といっしょに涙を流すことになります。それを支えているのは華麗な絵と詩情あふれるダイアログです。

 あとひとつ。あすなひろしの描くゴツいオヤジの横顔。眉のところが鼻の高さと同じぐらい飛び出している、なんともかっこいいオヤジ顔でしたねえ。

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September 14, 2004

お気楽にマンガを読む

 ムッツカシイのをうんうんうなりながら読むのもいいんですが、やっぱりマンガはお気楽に、寝っころがって読むのがいちばん。

 で、今日買ったマンガ。お気楽傾向。

・田丸浩史「ラブやん」(2)(3):買いのがしてました。今、喜国雅彦とならんで最高のお気楽マンガ。

・徳光康之「濃爆おたく先生」(2)と「濃爆おたく大統領」(1):山本弘が自分の本で言及してたので、欠けを揃えたもの。ファーストガンダムはともかく、その後のガンダムとかサクラ大戦はくわしくないので、ちょっとキツイ。

・岩永亮太郎「パンプキン・シザーズ」(1)(2):ネットで誉めてるかたがいらっしゃるので買ってみました。サワヤカですがすがしくて、これはもうけもの。

・水木しげる「鬼太郎夜話」:嶋中書店発行のコンビニ本。少年マガジンと同時期に「ガロ」に連載(1967年〜1969年)されてたバージョン。ちなみに鬼太郎のアニメ放映開始が1968年1月3日。

・二ノ宮知子「のだめカンタービレ」(10):いよいよパリ編。ここまでくるとお気楽音大生物語じゃなくなって、千秋とのだめが世界のスターになるまで続くのかしら。ぎゃぼー。

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September 13, 2004

楳図かずおに聞く:インタビュー/対談もいろいろ

 楳図かずおは語られることの多い作家です。彼はホラーとギャグが紙一重であることを実作で証明しました。楳図かずおの少女マンガがいかに怖かったか、「まことちゃん」がいかに笑わせてくれたかをみんな語りたくてしょうがない。その上「わたしは真吾」「14歳」という、ストーリーを追いかけてるだけではダメよ、と言わんばかりの難解な作品を発表。この2作を謎解き、深読みするだけでもどれだけ面白いか。

 マンガ家としては休業中の楳図かずおですが、多くのインタビューなどで積極的に自身の言葉で発言しています。最近まとめてインタビュー/対談を3つ読みました。

 「別冊宝島 楳図かずお大研究」発行は2002年でちょと古い。発行のきっかけはこの年放映されたTVドラマ「ロング・ラブレター 漂流教室」でしょうか。ここに「楳図かずおロングインタビュー」が掲載。インタビュアーはミステリ作家・二階堂黎人。元・手塚治虫ファンクラブ会長ですから、マンガにくわしいし、マンガについての発言も多い。楳図かずおのデビュー前、貸本時代、雑誌時代と順にきっちり質問していきます。手塚治虫の影響から抜け出すのをいかに模索したかとか、少女フレンドで里中満智子が原稿料3000円だったとき自分は1100円だったとか、楳図かずおも楽しそうに語っています。もっとも固有名詞が多く、読んでいて楽しい。本全体の作りも、執筆陣が大原まり子・ひかわ玲子・柴田よしき・児嶋都・図子慧・すがやみつると実作者が多く、娯楽として読めます。

 2つめ「KAWADE夢ムック 文藝別冊 総特集・楳図かずお」は2004年6月発行。「スペシャルロング対談 僕は楳図かずおという船に乗って漂ってるだけ 楳図かずお×宇川直宏」ここではインタビューじゃなくて対談と称してます。宇川直宏は、スミマセン、わたし今回はじめて名を知りました。デザイナー、ビデオディレクターなどをしてる芸術家。猫目小僧(アニメじゃなくて、紙芝居か二次元人形劇みたいなもの)のLDボックスデザインもしてたそうです。

 芸術家同士のお話ですから、わかりづらいことはなはだしい。話題があっちこっちトンでいってまして、とくに宇川の発言「それってユングの集合的無意識なのでしょうか?」「ヴァイブレーションですか?」「現実としてのボーダーは純粋に五感で体験するリアリティーに準じてて、ここから先が妄想っていうか、ファンタジーっていきなりいっちゃうんですね」←ゴメンナサイ、意味不明でお手上げです。

 その他の記事は「楳図かずおの貸本時代」の特集がなかなか。少年探偵・岬一郎シリーズをまとめて紹介してくれてるのはいいですね。そしてカラーで掲載してある、楳図かずお中学生時代の肉筆同人誌「漫画展覧会」。これはスゴイ。楳図かずおの絵のうまさとセンスの良さがよくわかります。

 3つめ「ユリイカ 2004年7月号 特集・楳図かずお」の対談は「世界が終ったとき、子どもがはじまる」。お相手は岡崎乾二郎。このひとも美術家・造形作家で芸術家ですが、テーマを「子供」にしぼったせいか、話がかみあってます。

 「子供」は楳図マンガの大きなテーマで、怪奇マンガの多くは子が親を怖がる話、「漂流教室」は子供のサバイバル、「まことちゃん」では大人も子供もない世界、「わたしは真吾」は子供の恋愛、そして「14歳」はタイトルどおり子供の話。同じ本の中で高橋明彦は「楳図作品の幾つかが、大人になることを拒否している」と書いていますが、ここをつっこんで語り合えば、もっと興味深くなったんでしょうが、それは対談ですることじゃないかも。対談のコピーに「ブッシュはまことちゃんを読め!」とあったり、編集部が楳図かずお特集をくんだのは、現実世界に14歳の犯罪がおこったり狂牛病・鳥インフルエンザが流行したり、楳図マンガが現実を先取りしていたから、というようなことを言ったりしてますが、確かに現実社会との一致を接点としたほうが、対談としては正しいんでしょう。

 文藝別冊とユリイカはほとんど同時発売だったので、執筆者はまったくダブっていません。後者のオトクなところは、高橋明彦作成の年譜(小伝記として読めます)と(ほとんど完全版の)作品目録が載っているところ。労作です。

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September 10, 2004

今年の9.11は「ブーンドックス」

 今年もまた9.11が来ます。今年読む本は「ブーンドックス」です。

 アーロン・マッグルーダー「ブーンドックス」(訳・町山智浩)はアメリカの新聞マンガ。タイトルは片田舎の意味。日本で最初に紹介されたのは「別冊本とコンピュータ アメリカンコミックス最前線」で小野耕世が訳したものでしょう。今回まとめて読んだ印象は、こんなに過激なモノだったか、という感慨。

 黒人小学生ヒューイが、白人社会や、白人に迎合する黒人にニコリともせず皮肉を言い続けるマンガ。初期は「黒いチャーリー・ブラウン」と呼ばれたそうですが、確かにオチのもっていきかたが似てます。ところが9.11以降、マックルーダーは「度胸を決め」て、ブッシュをねらい打ちにすることにしました。9.11直後にテロをギャグにしたのはこの作品のみ。その後もアメリカ全体がテロ憎し、フセイン憎しの大合唱のなか、ブッシュをコケにし続けるこのマンガが新聞マンガとして存在しうるのは、日本とアメリカの新聞事情が違うとはいえ、驚異的なことじゃないでしょうか。

「僕はブッシュとヒットラーを比べたことすらないよ」
「だって、ヒットラーは少なくとも選挙で民主的に選ばれただろ?」

 日本版はとびとびに2003年3月までが訳されていますが、そのあとの分も出版してくれないかなあ。

 ひるがえって日本の新聞マンガは、政治的問題どころかちょっとした社会問題を扱ったギャグも許されない世界。せいぜい週刊誌マンガで芸能人やナベツネをからかう程度。これは新聞と日本社会が多くのタブーを抱えているからです。もし日本の新聞マンガで過激なギャグが可能だとすれば、読者全体の政治的傾向が似ている赤旗か聖教新聞なら期待できるかしら。

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September 09, 2004

「EYE-COM復刻版」の別冊付録マンガ

 週刊アスキーは1997年5月に創刊しましたが、これは今の週刊アスキーとは別物。パソコンとは無関係のフツーの週刊誌で大勝負に出たのですが、あっという間に玉砕。その年の年末にリニューアルして新・週刊アスキーが登場しました。リニューアルとはいうものの、それまで月2回刊だった「お笑い系パソコン誌」の「EYE-COM」(アイコンと読みます)を、連載などもそのまま週刊化したものでした。EYE-COMがどんな雑誌だったかというと、パソコンのCPUで目玉焼きができるか実験する、てなことしてましたね。EYE-COMが週刊アスキーとなって、どんなに変わるかと思ってましたら、なんと全然変わらずにこれには驚いた。

 EYE-COMの創刊が1989年。わたしがEYE-COMを初めて買ったのが1994年2月1日号。なんで細かく覚えてるかというと、「電脳なをさん」第4回、セーラームーンのパロディが載ってたんですね。しかもカラーで。パソコン誌だったし、唐沢なをきのカラー作品がこのまま単行本化されるはずは絶対ない、と確信したわたしは(予想はずれました)、以後EYE-COMを買い続け、マンガ関係を中心に切り抜きなんぞをしてました。

 マンガ系だけでも、唐沢なをき「電脳なをさん」、水口幸広「カオスだもんね!」、いしかわじゅん「だってサルなんだもん」、竹熊健太郎・羽生生純「竹熊の野望」、青木光恵「ぱそこんのみつえちゃん」、永野のりこ・開田あや・他「叱ってダーリン」、その他桜玉吉やら寺島令子やらしりあがり寿やらとり・みきやら初期には水玉螢之丞やら。記事ではモノがあふれてる部屋の写真を撮りに行く「伊藤ガビンの魔窟ちゃん訪問」が好きでした。

 「EYE-COM復刻版」がこのたび発売されてます。いい紙使ってますが、250ちょっとのページ数で2000円もするのは、パソコン雑誌には珍しく、自社出版物を除いて広告がほとんどないから。別冊付録が2冊ついてますが、1冊はマンガを集めたものです。寺島令子が楽しいなあ。お好きな方はどうぞ。ただし水玉螢之丞と唐沢なをきの合作マンガは不完全版ですのでご注意を。

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September 07, 2004

お久しぶりのモンキー・パンチ「千夜一夜物語」

 記憶をたどると、1971年10月、アニメ版「ルパン三世」第1回の放映を茶の間で家族と一緒に見たわたしは、エッチな展開にえらいこと気まずい思いをしました。トホホだったなあ。

 マンガの方のモンキー・パンチ「ルパン三世」は1967年漫画アクション創刊と同時に連載開始。第1話のタイトルは「ルパン三世颯爽登場」。94話「さらば愛しきルパン!」で一時終了したあと、アニメ放映開始に合わせて95話「ニセ厳窟王」から再開。わたしが読んだルパンはこのころが最初でした。

 当時のモンキー・パンチの絵は線が太くなり荒くなってたものの、最も洗練されてた時代じゃないかなあ。劇画とまったく違う大人マンガに属する線と絵柄でありながら、奇想天外な構図とコマわり。新鮮でした。

 手許にあるモンキー・パンチの本はあまり多くなくて、双葉社のハードカバーの現代コミック第7集「棚下照生、モンキー・パンチ集」。双葉社パワァコミックス版と100てんランドコミックス版の「ルパン三世」(欠け多し)。双葉社B5版総集編形式の「シャム猫」ぐらいです(ああ、持ってたはずのあの文庫が見つからんっ)。最近講談社から作品集いっぱい復刊されてますよね。買おうかなあ、どうしようかなあ。

 さてモンキー・パンチお久しぶりの新作「千夜一夜物語」を買いました。残念ながら線に往年の勢いはありませんが、おそらく描きこみはこれまでの作品中いちばんでしょう。ただ200ページ以上ある本ですが、シェラザードはまだ王様に会ってもいません。これだけあればルパンなら、10回以上盗んで20人以上とエッチしてたよね。

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September 06, 2004

「マンガ世界の歩き方」マンガについての本とは思わないように

 山辺健史「マンガ世界の歩き方」読み終わりました。紹介にちょと困る本。けなしてる評の方が多いみたいなんで、わたしは擁護しておきましょう。

 各章は以下のとおり。百円雑誌屋を知ってるかい、コミックマーケットの暑い夏、いまのマンガ世界を歩いてみよう、在日外国人が考える日本のマンガ文化って?、発見!マンガをとりまく「ぜいたく」な状況、日本貸本屋紀行なのだ、トキワ荘外伝・森安なおやを追いかけて。

 著者にとってはじめての取材・文章だそうですが、まず、マンガに対する基本的知識がない。そりゃま、エンジンの構造を知らなくても自動車の絵は描けるでしょうけど。次に取材がウスい。路上百円雑誌屋の元締めはきっとヤの人だと思われますが、著者はあえてノータッチ。コミケで話を聞いたのは初日に5〜6人、3日目に1人だけ。在日外国人の座談会を開いても、マンガについての自分の考えがないものだから話は全く広がりません。

 そして考察なし。取材した題材を放り出すだけ。せっかく元少年マガジン編集長・内田勝にインタビューして、マンガ専門学校を取材して、マンガの今がどうわかったのか。何か書いてくれよう。

 この本は岩波ジュニア新書ですから子供向けですが、著者があまりに素人すぎて、読者の子供たちと同レベル。書影の撮影もバックに板(どこかの廊下の上?)が写りこんでいて手作り感いっぱいのデキ。まるで中高生の夏休み自由研究みたいです。

 考えるに、この本はマンガのことを書いたルポじゃなくて、何も知らない子供に取材の仕方、ルポルタージュの書き方を教えるための本じゃないでしょうか。そしてここはもっとこうすれば、と子供たちに思わせる反面教師。結局この本はマンガについての本ではありません。マンガは単なる素材。

 章を追うごとに著者はちょっとずつ成長してます。取材を通して取材者としてレベルがあがっていくのがわかりますが、残念ながらマンガそのものやマンガを取巻く環境のことを考えてるわけじゃないので、マンガ読みとしてのレベルはあがりません。マンガ図書館やマンガ貸本屋を日本マンガの「ぜいたく」「いいシステム」と考えるのは、マンガの将来について危機感を持っている読者とあまりに乖離しています。

 ただし著者が少なくとも善人であることは間違いないようです。誰をもけなすことなく、マジメ。好青年なんだろうなあ。

 さあ、誉めたぞ。

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September 04, 2004

W3事件の意義

 夏目房之介氏のブログで、元少年マガジン編集長・宮原照夫氏のW3事件に関するインタビューが取り上げられていました。わたしも以前にW3事件を調べて書いたことがあります。今回の証言では、当時の状況が生々しく語られています。

 宮原によると「ナンバー7」は少年マガジン1965年6号から連載開始予定でした。1964年12月31日になってやっと予告の絵を手塚に描いてもらいますが、年明け早々、1965年1月5日に手塚から1回目のクレーム。アニメ「宇宙少年ソラン」に宇宙リスが登場する。ナンバー7のアイデアがマガジンから漏れた、というものです。「ナンバー7」は連載中止になります。

 その後1月末にW3の設定がパイロットフィルムの形でできあがり、少年マガジン13号から連載開始(宮原は16号からと語っていますが記憶違いでしょう)。その後マガジンに「宇宙少年ソラン」の連載予告が載ってから、手塚から2回目のクレーム。ソランの連載をやめろ、と。結局マガジンはソランを切ることはできず、手塚はW3の連載を少年サンデーに移してしまいます。

 宮原の言うとおりなら、12月31日から1月5日の間に宇宙リスのアイデア流出がわかったという急激な展開。ところが山本暎一「虫プロ興亡記」によると、すでに12月中にはナンバー7の中止は決まっており、1月4日には会議でW3を雑誌連載した上でアニメ化することが決定されています。虫プロスタッフを「鉄腕アトム」班、「ジャングル大帝」班に振り分けても、余ってしまったスタッフ25人の仕事をつくるためでした。

 両者の言い分を信じるなら、手塚は虫プロ内部と少年マガジン編集部に対して別の顔を見せていたことになりますが、結局、真実はわかりません。

 W3事件はゴシップ的にも興味深いのですが、実は、この事件は戦後マンガ史の分岐点であったと考えられます。戦後マンガ表現史を考えるとき、まず手塚治虫が切り開いたストーリーマンガがあり、つづいて反・手塚として劇画が登場する。第3に少女マンガが心理描写を進歩させる。

 W3事件は手塚マンガから劇画への転換をうながしたことになります。事件をきっかけに、少年マガジンは手塚的な古典的少年マンガの絵・語り口から離れ「劇画」にアプローチします。水木しげる、さいとう・たかを、そして梶原一騎。「巨人の星」も「あしたのジョー」もW3事件が作ったものと言えるかもしれません。劇画はその作品の力でいずれマンガの主流となることができたと思われますが、W3事件がなければその後のマンガ史はどんな展開を見せたでしょう。

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September 02, 2004

「小池一夫伝説」読むべし

 「映画秘宝」はもちろん映画雑誌なんで、マンガ方面ではあまり話題になってないようなんですが、大西祥平の連載「小池一夫伝説」は面白いぞ。

 数年前から梶原一騎再評価が始まってますが、次は小池一夫だ! って、現在も現役のマンガ原作者のキングに「再評価」は失礼ですが、一時の勢いはないとはいえ、あの膨大な作品群はもっとリスペクトされるべきだと思うんですが。あまりに娯楽に徹しすぎたせいか、語られることが少なすぎる。

 「映画秘宝」2004年5月号から始まった連載は、第1回「映画『修羅雪姫伝説』」(梶芽衣子インタビュー付)、第2・3回「『子連れ狼』徹底解剖」(映画版「子連れ狼」の紹介付)、第4・5回「“裏・子連れ狼”としての『御用牙』」「『御用牙』の真実」(映画版「御用牙」と「亡八武士道」の紹介付)、そして今発売中の10月号では第6回「高校生無頼控」。

 大西祥平は細かいところまで小池一夫に質問してます。小山ゆうオリジナルのはずのデビュー作「おれは直角」の主人公の原型は「御用牙」にすでに登場していたとか、「高校生無頼控」には松森正版があったとか、裏話もいろいろ。

 映画雑誌連載だから、映画になってない「I・餓男ボーイ」とか「ダミー・オスカー」とかについては語られないのかなあ。今後も連載が続くかどうかわかりません。「ユリイカ」あたりが特集・小池一夫を出さないかしら。

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September 01, 2004

「アニメがお仕事!」は泣けます

 わたしがアニメ関係の方とちょっとだけ知り合いだったのは30年も前のことですが、当然のことながら当時から経済的にはとてもキツい職場だったようです。爆発やら戦闘機ばかり描いてると言ってたなあ。

 石田敦子「アニメがお仕事!」1巻を読みました。アニメプロダクションを舞台にした、特殊職業モノであり、青春群像モノであり、日常生活モノであります。

 主人公は新人アニメーターの双子(♀♂)、イチ乃と二太、19歳。イチ乃は巨乳のメガネっ娘という記号みたいなスタイルですが、数ページおきに泣いているような性格。二太は熱血。彼らの職場での人間関係やら、新企画の仕事やら、職場引っ越しやらで話が進みます。劇的な展開があるわけではありません。主人公は仕事場とアパートを往復してるだけ。タイトルどおり、お仕事ばっかりしてる作品。

 マンガ家にしてもアニメーターにしてもオタクな仕事を職業にしたヒトビトの話はいい。オタクに徹する心意気といいますか、この作品なら、ガンダム話はもう恥ずかしいと同級生に言われたりして落ち込みながらも、アンケートのご職業欄に「アニメーター」と書き込むシーン。

 青春モノの常ですが、イヤな上司、ライバルも登場。アニメ界のイヤな裏話もいろいろ出てきます。作者は元アニメの人ですから、この手の話は実話なんでしょう。でも読後感がいいのは、作者がアニメとその仕事を愛しているのが伝わってくるから。きっとこれから、もっとイヤな事件がおこるに違いないと予想されますが、がんばっていただきたいと、単純に応援したくなります。

 ただ帯に「アニメーターにも青春はある。」とありまして… このコピーはなあ。あたりまえやんか。あんた、ないと思てたんかいっ。

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