美少女と萌え(その1)
ササキバラ・ゴウ「<美少女>の現代史 『萌え』とキャラクター」を読み終わったのはかなり前だったんですが、これについて書くのがちょと気が重くて。
理由はいろいろあるんですが、まず私自身が「萌え」について整理しきれていないこと。オタク文化から出てきた「萌え」という行動様式が、将来、芸術を鑑賞する視点に進歩するかどうか。「侘び」「さび」「萌え」なんてね。ここにもうひとつ確信が持てない。商品や情報だけでなく、思想まで消費しつくしてしまう現代日本で「萌え」は生き残れるのか。
第二に「萌え」というのは受け手側の意識の問題ですから、作品論にととまらず、読者論・消費者論を含みます。誰が何に萌えたのか。萌えの最大公約数は。これにはオタクの状況・行動の歴史を知らなければならない。広範な現場の知識が必要になります。そして時代が進み、送り手側が「萌えさせよう」とするとき「萌え商品」ができます。「もえたん」とか「萌え4コマ雑誌」とか。商品としての萌えを考えるなら、作品論からさらに遠ざかってしまう。ここまでくると「マンガ産業論」じゃなくて「萌え産業論」までになってしまって、テーマでかくなりすぎます。とまあ、こんなことを考えていると、自分の考えがまとめきれなくなるんですね。
そしてもうひとつ。どうもネットでの否定的な書評を読むと、みんな「美少女の現代史」をちゃんと読めてないんじゃないかと思えてしまいます。この本は萌え解説の決定版というようなものではありませんが、基本はきっちりおさえておきましょう、という水先案内みたいな本ですよ。著者はここを前提にして議論しましょうと言ってる。とくに前半、作品と歴史を語る部分は、山のようなマンガやアニメからどの作品を取り上げるかが芸。
さて、著者の歴史的考察では「萌え」の始まりは1972年のアニメ「海のトリトン」です。女性のほうが早く「萌え」ていた。男性が萌えるのは1979年からの吾妻ひでおを中心とするロリコンブーム、宮崎駿「ルパン三世 カリオストロの城」、高橋留美子「うる星やつら」をビッグスリーとします。この部分に全く異論はありません。
以下次回。
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