ミッキーとベティがいた
戦前日本マンガの歴史、とくに子供マンガのそれが語られるとき、いつも不満に思っていることがありました。海外のキャラクターの影響についてあまり触れられないことです。手塚治虫の習作には、ミルト・グロッス「突喊居士」やジョージ・マクマナス「親爺教育」の影響があることがすでに指摘されています。ならば世界的大スター、ミッキー・マウスはどうなんだ。
意外なところに資料がありました。マンガじゃなくておもちゃ方面。安野隆「日本製ベティ・ブープ図鑑 1930-1960」という本があります。コレクターのひとがベティ・ブープに関する「戦前からの人形・おもちゃ・駄玩具・羽子板・レコード・着物他」を披露したもの。
ベティ・ブープはフライシャー/パラマウントのアニメーションの登場人物として1930年にデビュー。1932年には元祖二次元セクシー萌えキャラとして大スターになります。この年のベティ主演作は21作。約2週間に1作の割合で発表されています。このころの劇場用短編アニメーションはアメリカでの製作と日本公開のタイムラグがきわめて短かったようで、日本でもあっという間に人気者になりました。そのひとつの証拠がこの「日本製ベティ・ブープ図鑑」で、版権をとっていないパチモンベティのおもちゃが山のように。
もちろんマンガにも登場してまして、「ミッキー・ベテイ爆笑篇」「カハイイマンガ ベテイお嬢さん」「ベテイとミッキー」「ワラフマンガ 勇敢なるベビイ」「ベテイさん今日は」「ベテイさんノ首飾」「踊れよポパイ」「カハイイベテイさん」「お笑ひベテー」「ベテイと花」など。戦前の記述ではベティじゃなくてベテイだったんですね。
1935年松坂屋デパートの新年コドモまつりのパンフレットがあります。主催は報知新聞社と大日本雄辯會講談社。ここに当時の人気キャラが勢ぞろいしてますが、のらくろや冒険ダン吉、タンクタンクロー、団子串助などに混じって、ミッキーとベティがいます。
1936年、江ノ島・鎌倉旅行記念しおりはグリコが作っています。ここではキャラクターがグリコキャラメルを持って行進していますが、先頭から、ミッキー・ベティ・ポパイ・のらくろ・冒険ダン吉とその仲間、最後を歩いているのは猫のフェリックスでしょうか。フェリックスのデビューは1920年ですから、当然戦前の日本に紹介されていたでしょう。
アニメーションの登場人物たちはすでにスクリーンを離れて、子供社会の人気者になっていました。ポップな彼らの造形はきっと日本のマンガに影響を与えたはずです。
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