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July 31, 2004

青柳裕介が前衛だったころ

 台風10号がやってきてぴーぷー言っております。嵐になるたびに思い出すマンガというのがありまして、「COM」1970年11月号掲載、青柳裕介「かえろ」です。

 実は青柳裕介の作品の中でもっとも好きで、よく読んだのは、彼が娯楽路線に路線変更して最初のヒット作となった週刊少年キング連載の「鬼やん」です。この作品についてはいずれまた書きますね。

 青柳裕介は若くして亡くなってしまいましたが、一般の認識としては、「土佐の一本釣り」からイメージされる古風なマンガ家、というところじゃないでしょうか。男尊女卑っぽい作風でしたし。でも青柳裕介はCOMでデビューした岡田史子・宮谷一彦と並んで、時代の先頭を走る前衛マンガ家だったのです。

 1970年、青柳裕介は板前をやめてフルタイムのマンガ家となり、COMに精力的に作品を発表していました。すべて青春の煩悶とセックスを描いたもので、若者の心理をいかに表現するかに苦心した作品群。娯楽作品ではなく、コムツカシイおはなしばかりでしたが、それがまたこの時代新鮮でしたし、読者の支持がありました。「かえろ」はドキュメンタリー調の話。1970年8月高知を直撃した台風10号のため、生死の境をさまようというトンデモナイめに会います。

 高知市は30年以上たった今でもそうなんですが、雨に弱い町で、再々水害に襲われてます。この1970年は「おれは あの日……! 首まで 濁水につかった! 生まれて初めて『死』を感じた! おれも女房も 必死だった…… 『たすかるってことに』!」というほど壮絶なものでした。これに板前からマンガ家になって収入が減った作者の不安や、妻のヌード写真を撮りマンガに載せることについての妻との不和などが重なって作品としてはぐじゃぐじゃなんですが、これがわたしの記憶に強く残ることになりました。

 ラストページに「駄犬が遠吠えしてやがる そろそろ……かえろうか…… かえろう………か」とありますが、これがなんのことやら意味不明。巻末の「わたしの近況」の欄に、「台風がきて、僕の家と大切な資料ぜんぶを海にさらってしまった。すべてが無にかえり、僕にのこされたものは妻と子と、そして、自分にある一握の才能のみ……。デビュー当時の自分にかえろかな─。」というわけで、ここまで読んで初めてタイトルの「かえろ」の意味が明かされます。わかりにくいっ。

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July 29, 2004

手塚治虫のタカラヅカ

 中野晴行の新作「マンガ産業論」が話題になってますが、まだ手に入れてません。でもって、最近読み終わったのが著者の前作「手塚治虫のタカラヅカ」(1994年筑摩書房)。これも図書館で借りたものでして、「漫棚」のタイトルが泣きますね。さらに前作「手塚治虫と路地裏のマンガたち」についてはコチラを。

 「手塚治虫のタカラヅカ」はタイトルがいいなあ。そして装幀が美しい。図書館に返すのやめようかしら。自分の本じゃないですが、書影撮っときますね。これは「双子の騎士」オープニングのもろ宝塚少女歌劇風レビューシーン。色もオリジナル雑誌版のようです。

 内容は手塚治虫作品に対する宝塚という土地柄、宝塚少女歌劇の影響を論じたものです。宝塚と宝塚少女歌劇の歴史が6割ぐらい、あとの4割が手塚少年時代の話と手塚作品の中の宝塚の話。

 関西在住の著者がその利点を生かし、関西在住のいろんな人にインタビューしてます。宝塚ファンの芥川賞作家・阪田寛夫も登場しますが、彼こそ主婦の友社版「ぼうけんタンタン」で、スカタンな日本語訳をした人であります。

 手塚マンガのなりたちについて、戦前マンガの影響や、映画、アニメーションなどについては語られてきました。加えて昆虫採集というこりゃびっくりのものもありました。宝塚少女歌劇の影響については以前から指摘はされてきましたが、この本ほどきちんと語られたことはなかった。葦原邦子とロック・ホームが似ているなんてのは、言われてみて初めてぽんと膝を打ちますね。

 とはいえ、実作品のそれぞれのシーンに対する論評がもっと読みたかった。少女クラブ版リボンの騎士で博士と乳母が会話しながら歩く平凡とも思われるシーン。これこそ舞台だ宝塚だという指摘はお見事。こういうのがもっとあればなあ。

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July 28, 2004

いつも隣に仲間がいた…

 藤子不二雄A「いつも隣に仲間がいた…/トキワ荘青春日記」を再読しました。1981年初版。1996年にリメイク・再編集して再版されたもの。

 1981年はトキワ荘ブームの年でした。トキワ荘が取り壊されるということになり、1月13日手塚治虫らが集合してトキワ荘同窓会を開き、5月25日にはNHKでドキュメンタリー「わが青春のトキワ荘」放映。TBSでは10月3日にアニメ「ぼくらマンガ家 トキワ荘物語」(脚本・辻真先、監修・小池一夫、監督・鈴木伸一、キャラクターデザイン・石森章太郎)を放映しました。

 また「鈴木伸一アニメーター二十五周年の会」「赤塚不二夫二十五周年の会」「寺田ヒロオ編“漫画少年史”の出版を記念して“漫画少年”について語る会」なども開かれましたし、石森章太郎「章説・トキワ荘・春」の発行もこの年。というわけで、藤子Aの日記もこのブームに発行されたもの。

 一方1996年は監督・市川準、主演・本木雅弘の映画「トキワ荘の青春」が公開された年で、これにあわせてこの本も再版されました。

 わたしのものじゃなくて、図書館で借りたもの。読んだのは二度目なんですが、内容を全く忘れてましたね。どこかで読んだはず、と探し回ってた寺田ヒロオの晩年の話も、この本のあとがきに書いてありましたし。

 今回は人名に注意しながら読んでみたんですが、棚下照生の登場が2回。寺田ヒロオの部屋を訪問した時と、寺田の結婚式の時。長谷邦夫の登場が6回。いつも石森章太郎か赤塚不二夫といっしょにいます。ほんとにトキワ荘にいりびたってたんですね。

 週刊少年マガジンと週刊少年サンデーは、1959年ほぼ同時に創刊されるのですが、藤子Aのところに小学館の編集者が原稿依頼に来たのが2月11日。タッチの差で2月13日に講談社からも依頼あり。週刊誌2つは無理ということでマガジンを断り、サンデーに連載したのが「海の王子」です。これはサンデーからの持ち込み企画でした。この後、藤子不二雄は主に小学館グループで仕事をすることになり、オバQ・ドラえもんにまで至るわけですから、歴史の偶然というべきか。もし藤子不二雄がマガジンに描いていたら… 戦後マンガ史が変わっていたかもしれません。

 この本の最後のシーンは1981年6月26日「“漫画少年”を語る会」の記述です。長谷邦夫の「漫画に愛を叫んだ男たち」もそうでしたが、トキワ荘の物語は寺田ヒロオの話で終わります。

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July 27, 2004

サンペとゴシニ

 昨日はとんがりやまさんところにコメントしようとして大失敗。多重投稿するわ人名を間違えるわ。えらいことご迷惑をかけてしまいました。いや申し訳ありません。コメントしようとしていたのはココ。サンペに対する愛のあふれたいい文章です。ぜひご一読を。

 ジャン=ジャック・サンペといえば何といっても「わんぱくニコラ」のマンガ家として有名です。サンペを探してネットや書庫をさまよって見つけたことを書いておきましょう。

 サンペは1932年生まれ。19歳でマンガ家デビュー。初期にすでにニコラの原型となる少年の絵を描いていたそうです。1955年ルネ・ゴシニと出会い(このあたりの年号はゴシニのサイトに基づいてますが、1954年のほうが正しいような気も)、「ニコラ」の雑誌掲載が始まります。ニコラ最初の単行本が1960年発行。日本でポケット文春のシリーズで「わんぱくニコラ」が発行されたのが1969年です。

 サンペはまだご存命のようですが、彼のインタビュービデオがありました。 「Sempe, the Relentless Dreamer」のタイトルで2002年制作。Relentlessは無情な、とか、厳格な、の意味ですから「サンペ きびしい夢見人」とでも訳しますか。この紹介文によるとサンペはメディア嫌いでこの番組で初めて自分について語ったと。顔がコワイ。何か星一徹みたいだなあ。若いときの写真はもっとハンサムだし、おちゃらけた顔してることもあるんですけどね。

 サンペと同じフランス人のジェラール・ブランシャールは「劇画の歴史」(どんな本かはコチラ)の中で、1965年の「ランペール氏」を高く評価しています。パリの小さな酒場の常連たちの間で起こった些細な出来事のスケッチ。ただし「ランペール氏」は売れる本ではなかったようです。

 「ニコラ」の文章を担当したルネ・ゴシニ。彼はバンド・デシネ界の巨人とでもいうべき人物です。1926年生まれですからサンペより6歳上。ひょうひょうとした西部劇「ラッキー・ルーク」がモリスによって創造されたのは1947年ですが、1955年からゴシニはそのライターをつとめます。そして「タンタン」以後最大の成功といわれる「アステリックス」が1961年ゴシニとユデルゾの手で誕生しました。アニメーションにもなってますし、昨年末には実写版アステリックス映画「ミッション・クレオパトラ」が日本でも公開されましたね。主演はモニカ・ベルッチ。ゴシニは残念ながら1977年に若くして亡くなりましたが、25巻以後のユデルゾ単独作品も「ゴシニとユデルゾ」作品として発行されています(評判はもうひとつのようですが)。

 ゴシニのオフィシャル・サイト(フランス語です)では「アステリックスの父。ラッキー・ルークの主要シナリオライター。プチ・ニコラの著者。世界で最も読まれているフランス人作家のひとり」と紹介されています。

 このサイトにもサンペのちょっとした言葉が載ってます。

「私はバンド・デシネが嫌いだ。読んだこともなかったし、好んだこともなかった。一方、カートゥーンはいつも私の心を動かしてきた」

 うーむ、ガンコそうだなあ。

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July 26, 2004

続・アニメをつくるアニメ

 マンガの話じゃありません。

 以前にアニメ「星のカービィ」のアニメを作る回「アニメ新番組 星のデデデ」を話題にしました。今回はその続編「オタアニメ!星のフームたん」の話。TV放映時にちらりと見てたんですが、やっとビデオになったので借りてきました。自虐ギャグ爆発。フームというのは主人公カービィが居候してる家の目のきついお姉さん。

「ジャンクカルチャーへのわしの理念は熱く燃えて灰、風とともに去りぬぞい」

 アニメをまずジャンクカルチャーであると言いきってます。アニメをどうしても作りたいデデデ大王は3人のアニメーター・オタキングを呼び寄せます。ところがコイツら、

「ぼく的には親父キャラだめっすね」
「それに比べフームいい。目つき悪いけど」
「笑うとかわいく思われ」
「じゃフームたんは癒し系ではなく」
「アクション系」
「セクシーアイドル系に決まりっしょ」
「下まつ毛セクシー」
「うー、フームたんはさー、フームたんはさー」
「おさげゆれるといいし」
「じゃぼくら的に」
「取材してきます」

 いつからこういう日本語がはやってんだ。3人のオタキングはフームをストーキングしますが住民につかまってしまい、アニメを企画してることを白状します。

「ぼくら的には」
「ジャリ系と親父系はだめっす」
「だからフームたんアニメをつくることに」
「決まりでちゅ」
「とは言えフームたんはいわゆる美少女系とは異なり」
「ジャンル的には」
「セクシーアイドル系と思われ」

「アニメが社会にどんな貢献ができるか考えたことあんの」
「オタクは卒業してプロになれ」

と怒られても、彼らの興味は美少女にしかない。デデデ大王に地下牢に監禁され、ムチをふるわれ、カップヌードルをすすりながらアニメを作ります。

「制作の仕事は絶対に眠らせんことぞい」

「アニメ机」というのがあるらしいんですが、両側に仕切りがついてる。

「描いてる絵を人に見られずに、他人と目を合わせないための工夫と思われ」
「引きこもりの仕事でちゅ」

 ストーリーはかなりぶれてて、住民がいろんなアニメ企画を出したり、伝説のアニメ製作者オワルト・デゼニーが登場したりしますが、ついに時間がなくなり、デゼニーの提案でCGを使うことになります。

「革命でげす。これでセルアニメーターは大量絶滅」
「アホ監督はのたれ死に」

 カービィはCGアニメだったんですよね。

「でもそれじゃ優れたアニメーターが育つ?」
「夢がねえじゃん」

 このあたりが本音でしょうか。結局、オタキングたちが「こだわりのセル技法で完成」したアニメを放映へ。これがねー、アニメまつ毛と巨乳のフームたんがスローモーションで走るというシロモノ。アニメの将来は暗い、のか?

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July 25, 2004

ただいま

 帰ってきました。いや日本全国どこも暑い。

 しばらく書店にも寄ってなかったので、今日買ったマンガ。

・星野之宣「ムーン・ロスト」(1)(2)
・森下裕美「COMAGOMA」(6)
・井上雄彦「バガボンド」(20)
・島本和彦「ゲキトウ」(1)
・小畑健/大場つぐみ「デスノート」(1)(2)
・平田弘史「黒田・三十六計」(4)
・いしいひさいち「ののちゃん」全集版(3)
・さそうあきら「マエストロ」(1)
・三宅乱丈「王様ランチ」

 「ムーン・ロスト」の帯には「抽選で20名様に月の土地、1エーカープレゼント」というのが。おそらく空前の読者プレゼントでしょう。でも夢はなくとも限定フィギュアのほうが良かったかな。「COMAGOMA」は少年アシベ二度目の完結。そのうちまた登場しそうな気も。

 「黒田・三十六計」はこのリイド社版4巻からは新作です。リイド社の「コミック乱TWINS」に2003年から18年ぶりに連載再開されたもの。「ののちゃん」は双葉社版の10巻が2001年3月3日掲載分までで、この徳間書店全集版3巻が2000年12月1日〜2002年9月30日掲載分。この巻から買いです。

 さそうあきら「マエストロ」は旧アクションからの積み残し。三宅乱丈は今発売中の「マンガ・エロティクスF」の「秘密の新選組」がね。この人の絵はムチャうまいんですが、ゴツい顔した土方歳三にオッパイがあってもエロくはないよなあ。

 で、実際に読んでるのは島本和彦「ゲキトウ」のための予習として、「逆境ナイン」全6巻をもう一度。

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July 20, 2004

ちょっと出てきます

 しばらく留守にいたしますので、今週中の更新は停止すると思います。さすがにマンガを持ち歩くのはちょっとアレなので、新書と文庫を持って行きます。いずれは旅先でもモバイルビューワで電子本を読むようになるんでしょうか。では。

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July 19, 2004

「カジムヌガタイ」風が語る

 今ごろといってはなんですが、発売して1年たってから買った本。比嘉慂「カジムヌガタイ-風が語る沖縄戦-」を読みました。文化庁メディア芸術祭マンガ部門、2003年度の大賞受賞作。

 沖縄戦の悲惨さは知識では知っていても、沖縄県以外のわたしたちはそれを眼にすることがなかなかない。こういう形で沖縄戦のことを読めるのはありがたいことです。掲載誌のモーニングはいい仕事をした。

 短編が7作。すべて沖縄戦と戦後すぐの米軍統治時代の話。おそらくここに書かれた事件のほとんどが事実と取材に基づいているのでしょう。ただしすべての作品に「顔が見える悪役」が登場し、ラストで「悪役が滅ぼされ」ます。水木しげるの戦記物では、悪は軍隊という組織と戦争という人間の行為であるとして、滅びることがないのと対照的です。

 「カジムヌガタイ-風が語る-」ゲームのように沖縄女性を強姦する3人の米軍人。「フシムヌガタイ-星が語る-」壕を日本軍が使うために女子供を殺した曽根小隊長。「トゥイムヌガタイ-鳥が語る-」同じく洞窟の住民を追い出そうとした中隊長。「ワラビムヌガタイ-子どもが語る-」住民の食糧をムリヤリ供出させる軍人。「決戦少年護郷隊」沖縄戦を本土決戦の演習を考える背古伊大佐と因業大佐。「イシムヌガタイ-石が語る-」食糧を目的に嘉例島住人を西表島に強制疎開させ、マラリアを流行させた轟少尉。

 このようなあまりに単純ともいえる悪役設定は、娯楽誌モーニングに掲載される作品としての限界であり、利点でもあります。このおかげでお話としてわかりやすく、彼等は必ず滅ぼされることで読後感に救いが残る。

 絵は、ヘタです。人物は真正面から描いたものが多い。アクション場面はどういう動作があったのかわからないこともある。青木雄二に似た絵といえばいいでしょうか。欠点のいっぱいある作品集ですが、きっと記憶に残るマンガになります。

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July 17, 2004

スパイダーマン日本上陸(その2)

(前回からの続きです)

 トラウママンガと言われたり、からかいの対象になることもある池上遼一版「スパイダーマン」ですが、どういうものだったのか。今も繰り返し再版されてますから現物にあたっていただくとして、当時のリアルタイム読者のわたし(雑誌で読んでます)はどう考えてたんでしょ。本家スパイダーマンを知らないからといって、そうかこれがアメコミか、とは感じていませんでした。これはちゃうやろと思ってました、やっぱりね。

 池上遼一インタビューや平井和正のエッセイを読むと、池上版スパイダーマンは3期に別れていたようです。

 第1話「スパイダーマンの誕生」第2話「犬丸博士の変身」第3話「強すぎた英雄」が小野耕世翻訳、編集部主導の部分。

 第4話「にせスパイダーマン」第5話「疑惑の中のユウ」第6話「狂気の夏」が池上遼一オリジナル。

 第7話「おれの行く先はどこだ!?」から最終第13話「虎を飼う女」までが平井和正原作。

 編集部主導の1話から3話までにはちゃんと怪人が出てきます。エレクトロ、リザード、カンガルー男(これは元ネタがわからない)。でもエレクトロは、北海道から上京してきたガールフレンド・ルミちゃんの兄。ルミちゃんは美人ですが田舎者。いかにもあか抜けない。三つ編みを両肩にたらしリボンをつけるという、1970年としてもちょっとなあというファッションです。本家のガールフレンド、メリー・ジェーンとはえらく違いますね。

 エレクトロは1話のラストで主人公・高校生の小森ユウが変身したスパイダーマンに殺されます。本家の怪人たちが死ぬことなく、繰り返し悪役として登場するのと大違い。このやりきれない第1話のストーリーと、ルミちゃんの造形が、この後のスパイダーマンの方向性を決定づけました。

 池上遼一オリジナルといわれている4話「にせスパイダーマン」は全話を通して、もっとも日本版スパイダーマンらしい作品じゃないでしょうか。それなりに秀作。怪人・ミステリオとにせスパイダーマンの登場。マスコミからの非難。おばさんからの疑い。という本家の設定がちゃんと残ってる。加えて、夢の中でユウはスパイダーマンの姿で犯罪をおかした上に、本当のクモに変身してルミちゃんを追いかけてます。そして現実のルミちゃんとの再会と、彼女からの非難。意外な犯人。最後にルミちゃんは置き手紙を残して都会の闇の中へ去ってしまいます。怪人、ニセモノを含めていろんな要素をてんこもりにしたうえ、カタルシスのないラスト。1970年という時代を象徴してるような作品でした。

 5話「疑惑の中のユウ」は高校生の強姦事件という、スパイダーマンじゃなくていいだろっというお話。最後までスパイダーマン登場しません。「ゴーゴーホール」で働いてるルミちゃんと再会。

 6話「狂気の夏」はハイジャックテーマ。犯人はベトナムに帰りたくなかった米軍兵。ユウは暑さにいらついて大量殺戮の幻想を見てます。もはやスパイダーマンのお話じゃなくなってるような気が…

 このように平井和正が登場する以前より、すでに物語はあっちの方向へ走り出していました。日本においてスパイダーマンは、どうしてもお気楽なお調子者の側面を表現できず、ひたすらリキんでいました。これは池上遼一の資質と、当時の日本の社会状況・マンガ状況のため。みんなマジメだったというか、余裕がなかったというか。1970年の日本で日本人がスパイダーマンの仮面をかぶるとき、飛雄馬にならざるをえなかったのです。この時代、もしお気楽なスパイダーマンが描けるとしたら、永井豪しかいなかったのじゃないか。

 そして7話「おれの行く先はどこだ!?」で平井和正が登場。オープニングでユウはヌードのルミちゃんを妄想し、オナニーしてます。このシーンが大ゴマを使って、なんと10ページにわたって展開。これで池上版「スパイダーマン」は伝説となりました。

 以後は「平井和正の作るお話」となります。多くのエピソードがのちに主人公を変えて小説化されている。確かにSFとして十分に読ませるアイデアと展開を持った作品でありました。自身のエッセイでは「本国版のフォーマット、ストーリーを放棄し」「行動原理を、“青春の彷徨”」とすることで「青春ストーリーとして成功を収めた」と。しかし、これまで書いたように、日本版スパイダーマンを創造し、その方向性を決定したのはやはり池上遼一。良くも悪くも、この作品は池上遼一のものでした。

 さて、その後のルミちゃん。彼女は後半の平井和正原作では忘れられた存在となってしまい、久しぶりに登場した10話「狂魔(くるま)」であっさり交通事故で死亡。作者に愛されなかったヒロインの末路哀れ。ってわたしはいまだにこの件怒ってます。これはあんまりだ。ヒドかったぞー。

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July 16, 2004

スパイダーマン日本上陸(その1)

 池上遼一のベストワークは何でしょうか。「GORO」連載時の「I・餓男 アイウエオボーイ」アメリカ篇を選びたい。1970年代後半、「男組」とダブる時期ですが、初期の勢いのある荒々しい線がシャープな線に変化したのがこのころ。上唇に斜線をいれるという手法を開発した時期です。なんせ「GORO」はでかい雑誌でしたからね。大きな版形でしっかりした絵じゃないともたない。その点、池上遼一はたいしたものでした。

 このころの池上遼一の絵を誉めるとき、「アメリカの摩天楼がすごい。あれはスパイダーマンを描いたときに修行したね」という言い方がありました(初出は覚えてないんですが)。

 池上遼一版「スパイダーマン」は「別冊少年マガジン」1970年1月号から1971年9月号まで連載。池上遼一は当時まだ「ガロ」を中心に描いていた時期で、100ページ巨弾連載でしたから抜擢といっていいでしょう。翻訳・構成は小野耕世。仕掛け人は1970年夏には「週刊少年マガジン」「ぼくらマガジン」を含めてなんと3誌の編集長を兼務することになる内田勝です。講談社はマーヴェルと提携し、この後「ぼくらマガジン」では
「超人ハルク」(絵は西郷虹星)
を掲載、他にも
「タイガー・マスク」辻なおき/梶原一騎(旧「ぼくら」からこれだけ継続)
「仮面ライダー」石森章太郎(TV版と同時スタート)
「魔王ダンテ」永井豪
「バロム・1」さいとう・たかを
「ウルフガイ」坂口尚/平井和正

 このラインナップは意識的に「変身するスーパー・ヒーロー」を揃えたもので、日本のマンガ雑誌がもっともアメコミに近づいた一瞬でした。池上遼一版「スパイダーマン」はその先駆だったわけです。

 さて、「別冊少年マガジン」でスパイダーマンが始まったとき、読者はまだ本家スパイダーマンを知らなかった。小野耕世が虫プロ「COM」でスパイダーマンの紹介をしたのが1968年4月号でした。新連載「海外まんが紹介」の第1回が「スーパー・アンチ・ヒーロー『スパイダーマン』」です。

 この中で小野耕世はスパイダーマンをアメリカの新しい「青年まんが」と呼び、この理由を主人公の性格に求めました。「いつも自分に自信がもてず、おどおどと不安にとりつかれている」「女性恐怖症の気味があり、女の子に気ばかりつかっているわりには、そっけなく扱われて悩んでしまう」「すぐ誤解されて、警官に追っかけられることすらある」「『小さいときからまんがを読んでスーパー・ヒーローにあこがれていたんだけど、夢と現実は大違いだ。ついてないなあ』と、ぼやいている」

 まあ、そのとおりなんですけど、小野耕世はここでスパイダーマンをその性格から語っているだけです。字数が少なかったのか舌足らず。1969年12月号でもういちど「スパイダーマン再説 クールなヒーローの時代」を書きました。「別冊少年マガジン」での連載開始の直前ですね。

 こちらでは社会問題について指摘されています。スパイダーマンの世界には社会的な悩みや現代的な矛盾が反映されている。世代の断絶、父娘の対立、若者の絶望などがテーマとしてとりあげられる。スパイダーマンは正義のために戦おうとしますが、社会はヒーローとしての彼を無条件には受け入れない。ここに純真な若者と、冷酷な偏見に満ちた社会との戦いが始まります。小野耕世はここでホットなヒーロー・星飛雄馬とクールなヒーロー・スパイダーマンを対比させてみせました。

 日本ではヒーローはマジメに戦うものでした(飛雄馬のように)。本家は悩めるスーパーヒーローとはいうものの、戦いの間じゅう軽口を言ってるような野郎です。スパイダーマンが日本人・小森ユウになったとき、スパイダーマンは戦いの中での軽口を捨て、ひたすらマジメに悩むだけの存在と変化してしまいました。しかも社会と現代の矛盾と悩みを背景にして。こうして日本版スパイダーマンはひたすら重苦しい展開を見せることになります。

 以下次回。

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July 15, 2004

どこまでが「懐かし」マンガか

 「総本家漫棚通信」というサイトに自分の文章をまとめておいてあるんですが、最近数カ月なぜかGoogleでまったくヒットしなくなってました。理由はよくわかりません。ごく最近再度ヒットしてくれるようになり、これでやっとGoogleを使ったサイト内検索をおけるかなあ。一時サイト内人名検索を作ろうとして挫折してました。

 前回、前々回と戦前マンガの話題でしたが、さすがにここまでいくとみなさん、ほとんど興味がないようですね。団子串助あたりになると大正時代だし、これを懐かしいといえる人は、まあネット読んでないでしょ。歴史のお勉強ですしね。

 やはり話題としては「今」こそ強くて、みんな新しいモノを探してます。現在連載中、まだ完結前ってのがいいみたいで、いかに新しいマンガを見つけるか。マンガレビューは先物買いこそ勝ちみたいたところがありますからね。ただしわたしはここからはほとんど落ちコボレてまして、最近の作品は人のサイトで教えてもらうばっかりです。

 懐かしマンガは、読者の年齢でどこを懐かしがるかが大きくずれます。今なら最もさかのぼって、マンガ月刊誌の黄金時代あたりでしょうか。わたしにとって、それより先、戦後すぐの赤本マンガ時代やマンガ月刊誌黎明期は、もはや先史時代という印象ですね。「少年」や「少年画報」は語れても、「野球少年」や「痛快ブック」になるとキツい。わたし自身の興味の対象は実は戦前マンガの方にあるんですが、現在自分で古書・古雑誌を集めるほどの財力もないので、なかなか現物を読めません。このあたりは懐かしマンガじゃないので復刻されることも少ないしなあ。

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July 14, 2004

クロベエもいた

 「クロベエ」といって何を思い浮かべるか。時代劇ファンなら、忠臣蔵の大野九郎兵衛か。マンガ読みなら、藤子Fの禁断の「ジャングル黒べえ」(べっかんこー)か藤子A「黒ベエ」のどちらかが出てくるでしょう。チェッカーズのドラムにもこういう名の人がいましたね。

 でも最も人気者だったのはコイツ。田河水泡が描いた黒ウサギの「凸凹黒兵衛」。マックロなウサギで、もちろん戦前マンガの登場人物ですから、服を着て人語をしゃべります。ガールフレンドは白ウサギの白ちゃん。

 田河水泡のキャラクターとしては、なんといっても「のらくろ」が超有名。少年倶楽部という巨人雑誌に長期連載。次いで「蛸の八ちゃん」でしょうか。凸凹黒兵衛はあまり視野にはいってなかった。なんせ連載されてたのが婦人倶楽部(1933年〜1938年)ですからね。こういう雑誌に連載されてるマンガに人気が出るとは考えにくいじゃないですか。

 ところが、前回話題に出した「日本製ベティ・ブープ図鑑」を見ると、黒兵衛いっぱい登場してるんですよ。戦前日本子供マンガの人気キャラクターといえば、まずのらくろと冒険ダン吉がトップ2。「正チャン」「ノンキナトウさん」「団子串助」は大正時代のデビューですからちょと古い。講談社系の少年倶楽部や幼年倶楽部に連載されていたのが「タンクタンクロー」「コグマノコロスケ」「日の丸旗之助」ですが、黒兵衛はおもちゃ類への登場が彼らよりも多いように思われる。もしかすると、子供たちにとって人気ナンバー3だったのか、なんて考えるんです(もちろん、ミッキー・ベティ・ポパイを別格として)。のらくろの陰に隠れてマンガ史の本にもあまり出てきませんが、黒兵衛、意外とスターだったのか。

 この当時のマンガとして復刻もされ、手塚治虫の映画的手法の先駆とされる宍戸左行「スピード太郎」(1930年〜1933年、読売サンデー漫画、よみうり少年新聞)は、少なくとも「日本製ベティ・ブープ図鑑」コレクションのおもちゃには登場しないようです。子供たちの間での人気はどうだったんでしょ。

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July 12, 2004

ミッキーとベティがいた

 戦前日本マンガの歴史、とくに子供マンガのそれが語られるとき、いつも不満に思っていることがありました。海外のキャラクターの影響についてあまり触れられないことです。手塚治虫の習作には、ミルト・グロッス「突喊居士」やジョージ・マクマナス「親爺教育」の影響があることがすでに指摘されています。ならば世界的大スター、ミッキー・マウスはどうなんだ。

 意外なところに資料がありました。マンガじゃなくておもちゃ方面。安野隆「日本製ベティ・ブープ図鑑 1930-1960」という本があります。コレクターのひとがベティ・ブープに関する「戦前からの人形・おもちゃ・駄玩具・羽子板・レコード・着物他」を披露したもの。

 ベティ・ブープはフライシャー/パラマウントのアニメーションの登場人物として1930年にデビュー。1932年には元祖二次元セクシー萌えキャラとして大スターになります。この年のベティ主演作は21作。約2週間に1作の割合で発表されています。このころの劇場用短編アニメーションはアメリカでの製作と日本公開のタイムラグがきわめて短かったようで、日本でもあっという間に人気者になりました。そのひとつの証拠がこの「日本製ベティ・ブープ図鑑」で、版権をとっていないパチモンベティのおもちゃが山のように。

 もちろんマンガにも登場してまして、「ミッキー・ベテイ爆笑篇」「カハイイマンガ ベテイお嬢さん」「ベテイとミッキー」「ワラフマンガ 勇敢なるベビイ」「ベテイさん今日は」「ベテイさんノ首飾」「踊れよポパイ」「カハイイベテイさん」「お笑ひベテー」「ベテイと花」など。戦前の記述ではベティじゃなくてベテイだったんですね。

 1935年松坂屋デパートの新年コドモまつりのパンフレットがあります。主催は報知新聞社と大日本雄辯會講談社。ここに当時の人気キャラが勢ぞろいしてますが、のらくろや冒険ダン吉、タンクタンクロー、団子串助などに混じって、ミッキーとベティがいます。

 1936年、江ノ島・鎌倉旅行記念しおりはグリコが作っています。ここではキャラクターがグリコキャラメルを持って行進していますが、先頭から、ミッキー・ベティ・ポパイ・のらくろ・冒険ダン吉とその仲間、最後を歩いているのは猫のフェリックスでしょうか。フェリックスのデビューは1920年ですから、当然戦前の日本に紹介されていたでしょう。

 アニメーションの登場人物たちはすでにスクリーンを離れて、子供社会の人気者になっていました。ポップな彼らの造形はきっと日本のマンガに影響を与えたはずです。

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July 10, 2004

観客:この偉大なる者たち

 以前のブログでわたし自身は、ハロルド作石「BECK」をスポーツ・格闘マンガと呼びましたが、これは物語の構造が似ているという意味。一方、マンガ夜話の「BECK」の回では、岡田斗司夫がバトルマンガ、夏目房之介からは格闘技マンガという言葉が出てました。こっちは物語じゃなくて、マンガ表現・手法の話題であります。

 バトルマンガ・格闘技マンガの手法とは。これは「技のスゴさを語ってくれる観客の存在」です。

 夏目房之介が「BECK」で出していた例は10巻、BECKのグレイトフル・サウンドでの演奏中、「実質日本No.1のロック・バンド」「ラウドの片平」が「すごいがや」「あるんだわこういうライブ」「自分たぁの実力以上のもんが出る時」と語るシーンでした。夏目は「梶原一騎以来の」と言っていましたが、もちろん梶原の発明ではなく、それ以前のマンガ表現の進歩の蓄積によるものです。1959年寺田ヒロオ「スポーツマン金太郎」の中で、観客の驚いた顔といっしょにアナウンサーは「ふしぎです!あのちいさいからだのどこからあの速球がうまれるのでしょうか?」と叫んでいました。1965年ちばてつや「ハリスの旋風」で石田国松と教師の剣道の稽古での観客の言葉。「先生の足はかすかだがみだれているぞ」「呼吸もあらい」マンガの絵であらわせない細かい描写を観客に言わせることで表現しています。

 かつて格闘技マンガでのクライマックス。赤道鈴之助やイガグリくんが、嵐の野原でライバルと相対する。姿三四郎以来、たいてい私闘は禁じられてるからこっそりと闘うわけです。闘いの中で内面はモノローグで表現されます。「む、やるな」「苦しい、しかしぼくは負けないぞ」

 さてここに、この決闘をこっそり見つめる第三者が登場したとき。「な、なんてすごい技なんだ」他者の視点を導入することで、マンガ表現のレベルが一段上がりました。

 もしこの観客が、格闘技にくわしい人物ならば。「そ、その技はあの伝説の…」「今、日本で彼にまさる者はおるまい」権威づけをしてくれます。

 さらに観客の数が増えると。アナウンサー・解説者・多数の観客がまわりで口々に叫ぶという古典的野球マンガ手法が完成されるわけです。

 マンガではどんなに見事な絵を描いたとしても、主人公の投げた球の速さはわからない。誰かが「速い」と言ってくれなければならないのです。ライバルが言ってもいいんですが、闘いの最中、お互いにずっと誉めあわなきゃいけないということになってしまう。その時、観客がこれを言ってくれるんですね。しかも必殺技の解説までしてくれる。この手法はあらゆるスポーツマンガ、格闘技マンガで標準手法になっただけでなく、他のジャンルを侵食しました。「BECK」のような音楽マンガ(音楽は描けないからね)、料理マンガ(味も描けません)、マージャンマンガ(将棋や囲碁も含まれる)。

 さて、このように偉大な観客たちですが、この手法はあまりに有効だったので、日本マンガでは使われすぎて手垢のついたものになってしまいました。実作者たちはこの手法を使わない表現を模索し始めます。たとえばちばあきお「キャプテン」とコージィ城倉「おれはキャプテン」では共に、試合中にアナウンサーも解説者もいません。さて、今後日本マンガはこの観客の呪縛から解放されるでしょうか。

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July 09, 2004

貸してはイケナイ

 子孫に残すべき言葉はいろいろあるでしょうが、まず言っておきたい。
「貸してはイケナイ」
 お金のことじゃありません。マンガのことですっ。

 借りた倉庫に長らくほうりこんでいたマンガを書棚に並べてみて気づいたことは、あれがない。これもない。大きなところでは初期ジャンプコミックス版、寺沢武一「コブラ」の7巻から15巻までががっさりないじゃないですか。もうひとつ、徳弘正也「シェイプアップ乱」1巻から6巻まで欠けてる。そのあとの巻はあるのよ。片山まさゆき「スーパーヅガン」1巻もそれだけない。これはもう、アイツとコイツとソイツに貸したのが返ってきていないにちがいない間違いないそのはずだ。思えば昔は気楽に貸してたよなあ。もう一回買い直すのもクヤシイし。というわけで今も欠けてます。

 あと、これは間違いないのですが、講談社版手塚治虫全集の一部を親戚のオッチャンに貸したままになってるんだな。たしか手塚初期のなかなか濃い作品だったような。もう何の作品だったかも思い出せませんが、確かに貸したよ。今さら返せとは言えませんわねえ。

 微妙なのが、高橋留美子「めぞん一刻」も6巻だけ欠けてる。いがらしみきお「ぼのぼの」7巻だけがない。いしかわじゅん「東京物語」も7巻がない。このころは買って読めばすぐ倉庫、ということをしてましたので、ホントに買ったかどうかがさだかじゃない。それにこれらの作品は永劫回帰パターンで、1巻抜けても話がわからないというわけじゃないからなあ。もしかしたら買い逃したなんてことがあるかもしれない。そんなはずないんだけどなあ。というわけで「めぞん一刻」と「ぼのぼの」はブックオフで買い足し、「東京物語」はその巻だけコミックパークのオンデマンド版で買いました。

 でも揃ったらそれだけで満足しちゃって読まないんだ。いけませんね。

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July 08, 2004

「ちゃお」と「なかよし」

 近況など。

 今日買った本は、

・ちゃお8月号
・なかよし8月号
・しりあがり寿「地球防衛家のヒトビト」
・いしいひさいち/峯正澄「大問題'04」
・永島慎二/梶原一騎「柔道一直線」(3)(4)ネコ・パブリッシング版
・大和和紀「紅匂ふ」(1)
・中村うさぎ/松田洋子「中村うさぎの四字熟誤」
・ベン・カッチャー「ジュリアス・クニップル、街を行く」
・伴田良輔「夜の雑誌たち」

 「ちゃお」と「なかよし」の8月号ってまるきり同じ絵の表紙なのね。斜め左向きの女の子のアップ、眼だけ正面に。ふたりとも眼は顔の3分の1ほどの大きさで、鼻は点、これも同じ。一方は五十嵐かおる「らぶりーデコレーション」、もう一方は花森ぴんく「ぴちぴちピッチ」です。表紙はともにキャラクター・付録写真・マンガタイトル・全員プレゼント写真で足の踏み場もなく、空間恐怖症的デザインというかデザインがないというかこれこそ少女マンガ誌というか。

 中村うさぎの文庫本はめずらしく倉田真由美じゃなくて松田洋子と組んだもの。活字でかっ。

 ベン・カッチャーの本は、都会とそこに住む人々のスケッチ。1ページ8コマのショート・マンガが85話。

 「夜の雑誌たち」は昭和30年代のエロ雑誌のコレクションです。まんだらけが出した「あかまつ別冊・戦後セクシー雑誌大全」とご一緒にどうぞ。でかいパンツのおねえさんたちの写真に混じって、劇画以前のエロマンガもちょっと読めます。

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July 07, 2004

オスカルの初エッチ

 井上雄彦「バガボンド」は、佐々木小次郎を聾唖にした時点で全く新しい作品と化しました。国民文学とまでいわれた吉川英治版「宮本武蔵」←井上作品はとっくにこれを現代的面白さで越えています。しかし、宮本武蔵は史実には晩年ちらりと登場するだけの謎の人物で、武蔵をあそこまで創造したのはやっぱり吉川英治なんですなあ。以後のすべての「武蔵」は二番煎じなわけで、オリジナルは強い。

 昨年武蔵が大河ドラマになったし、バガボンドは売れているしで、吉川英治版「宮本武蔵」読破に挑戦した人も多かったでしょうが、読み通せました? 挫折した人の死屍累々じゃないのかなあ。ありゃけっして面白いモノじゃないです。読めるのは一乗寺下り松の吉岡一門との決闘まで。原型を八犬伝までさかのぼれる古いタイプの大衆小説で、偶然と因果が支配する世界です。とくに敵役・小次郎の造形は単にイヤな奴。美形の悪役という観念の薄かった時代の話であります。

 吉川「武蔵」では主人公達は性的に無垢なのでヘンな展開となります。武蔵がえんえんと童貞なのはともかく、お通さん、あんたずっと処女守り通してるけど、いったいいくつやねん。武蔵と会うのをひたすら待ってるけど、それでええんか。結局捨てられるんやで。

 お通さんは生年不詳の人物なんでまだいいんですが、生年がはっきりしてる「ベルばら」のオスカルはさらにツライ。マリー・アントワネットと同い年ですから1755年生まれ。アンドレとの初エッチは、バスティーユ陥落の直前1789年、34歳でいらっしゃいます。うーむ微妙な年齢ですなあ。ストイックだったのね。というわけで、戦前大衆小説の主人公と、1970年代前半の少女マンガの主人公は同じようなセックス規範のもとで生きていたというお話でした。

 オスカルのセックスといえば、わたしの同居人が子供時代、ばあちゃんにねだって映画版「ベルばら」を映画館にいっしょに見に行ったとき、なんとオスカルが鏡の前で自分のオッパイを揉むシーンが。ばあちゃんともどもえらく気まずい思いをしたそうで、現在もわが家では「ベルばら」は禁句になっております。

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July 05, 2004

裏トキワ荘物語

 録画してあったマンガ夜話「まんが道」の回、やっと見ました。長谷邦夫「漫画に愛を叫んだ男たち」にからめて「裏トキワ荘」という言葉が発明されてましたね。そこにいるはずなのになぜか描かれない長谷と並んで、裏トキワ荘の代表的人物ビッグ2は、寺田ヒロオの友人・棚下照生と、赤塚不二夫の友人・つげ義春でしょう。このふたりを登場させた映画「トキワ荘の青春」はちゃんと表と裏に目配りしてるわけで、エライ。

 このうち棚下照生が、いかにも裏トキワ荘という文章を書いてますので紹介しておきます(棚下照生ってだれ、という人はまずコチラからどうぞ)。

**********

 寺田が上京して暫くすると、投稿の常連だった少年少女が、寺田を慕って次々に上京する。上京した彼等は、寺田の居る何とも薄汚いアパートに移り住んだ。
 少年も彼等と対面した。
「石森でーす」
 少年はこの男を、まるでジャガイモみたいな奴だなと、鼻で笑った。次に
「藤子です、よろしく」
 ヘチマとナスビが言った。
「二人で一作を描きます」
 と続けた。何のことはない二人で一人前か。
「エー、赤塚」
 握りメシが動いたかと思った。
 色んな奴がいた。カボチャやガンモドキ、乾いたウンコやお玉杓子、どういう訳か消防ポンプまでしゃしゃり出てきた。
 だが、どれもこれも、漫画を描くのを不良行為とは思っていないらしい雰囲気の発散がそこにあった。
 少年は場違いの自分を感じていた。
(俺のいる所ではない)
 破滅型の性格を持つ少年は、寺田とその仲間に溶けこめず、また酒を呑み、描き、酒を呑む生活に戻る。

**********

 寺田ヒロオ編「『漫画少年』史」(1981年)に寄せられた文章の一部です。明るいまんが道を歩めなかったマンガ家がここにもいます。

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July 04, 2004

頭にピンクの花が咲く(その2)

(前回からの続きです)

 「NANA」には2つのバンドが登場します。この中の人間関係というか恋愛関係がなんというかドロドロというかパズルのようというか。

 以下ネタバレ注意。

 ブラストのボーカルが主人公のひとり・ナナ(♀)です。彼女はもうひとつのバンド、トラネスのギター・レンとラブラブ。実はナナに惚れているのがブラストのリーダー・ヤスです。ヤスは昔、トラネスのボーカル・レイラ(♀)とつきあっていました。今、レイラはブラストのギター・シンを金で買ってセックスしてますが、実はブラストのリーダー・タクミが好き。タクミも実はレイラが好きなのですが、遊び人なのでもうひとりの主人公・奈々(♀)と遊びのセックス。奈々はタクミと別れて、ブラストのベース・ノブとつきあい始めますが、タクミの子を妊娠していることがわかり、タクミとよりをもどす。でもって、実はナナと奈々は女性同士で愛し合っているのです(愛の形としてはまだ奇妙ですが)。どうでしょう、この順列組み合わせ、わかっていただけたでしょうか。

 すんません、読んでない人にはまったくわからん説明ですね。ともかく、狭い範囲での濃密な人間関係。これってあんまりじゃないですか。ってありえないぞ。パートナー探しはもっと広い眼でね。

 バンドマンガかなと思って読み始めたところ、なんと人間関係を描くマンガでした。ベストセラーで10巻も続いてる作品なのに「NANA」はまだまだ話の本筋にはいっていないようです。ナナと奈々の愛の形がまだ見えていません。着地地点は愛の成就か破滅か。伏線からすると悲劇が待っていそうだなあ。

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July 03, 2004

頭にピンクの花が咲く(その1)

 数年前のNHKアニメに「あずきちゃん」というのがありました。原作・秋元康、小学生が主人公の生活アニメ、かと思いきや、これがエライしろもので。主人公のあずきちゃんは小学生ながら、朝から晩までオトコのことしか考えていないというトンデモない人物。それほど美人じゃなくて性格も優柔不断、そこらにいるフツーの女の子ですが、頭の中にピンクの花が咲き乱れ。ひたすら如何にしてオトコと恋愛するかを考えてる。小学校を舞台にしながら毎回恋愛以外のテーマがないという、この世のものとは思われない展開のアニメでした。

 原作は「なかよし」掲載で絵は木村千歌。アニメが小学生時代だけを描いたのに対して、マンガの方は5年間連載で小学5年生から中学3年まで。内容はアニメと同じですね。中学生になるとなぜかふたりの男からせまられてモッテモテになりますが、まあそれは言うまい。今もネットにアニメ絶賛のサイトがあるのが信じられませんが、評価はひとそれぞれですなあ。

 で、このあずきちゃんが成長すると、矢沢あい「NANA」の主人公のひとり、奈々になるんですね。奈々もただただオトコと恋愛することしか考えていない人物。わたしは累計1400万部のベストセラーの読者のみなさんに問いたい。これでいいのか?

 奈々は、内田春菊のいうところのいわゆる「困ったちゃん」で、上京して半年で3人の男を乗り換える、仕事はおざなり、遅刻はする、外出したら帰ってこない、仕事中にあっちの世界に行ってしまって男のことを考える、友人には迷惑かけまくり、妊娠してあっさりできちゃった結婚して白金の豪華マンション住む。ホントにみなさん、これでいいのか?

 作者が奈々を全面肯定しているわけじゃないとは思うんですが、じゃあこの女どうなんだよっ。少女マンガはわたしの弱点でして、文法はわかるにしても、数を読んでないし、恋愛モノがだめなんだよう。読者がこのマンガのこの主人公のどこに共感してるのか、それとも反感持ちながら読んでるのかがわかりません。共感できない主人公の作品がなんでベストセラーになるの? じゃあやっぱりみんな主人公に共感してるんだ。あずきちゃんに共感したように。ドジでのろまな亀だけど。これが私。愛される私。(うーむ、えらくマズイことを書いてるかもしれない。)

 恋愛至上主義の女性の代表・あずきちゃんと読者の距離は全くありません。同化してます。「ハッピー・マニア」の重田加代子と読者の間には彼女を笑えるだけの距離があり、コメディとして受け入れられる。読者と奈々の距離はその中間ぐらいなんでしょうか。共感しつつ、反感もちつつ?

 「NANA」にはもうひとつ、ちょっとなあと思われる構造的な問題も。

 以下次回。

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July 02, 2004

悲観したものでもないよ

 オルタナさんのところ一知全解さんのところもマジメに悲観されております。現実に日本マンガの消費量が減ってる、マンガ家志望者数が減ってる。しかも昔のマンガのほうが面白かった気がする。でもね、そんなに悲観しなくても。

 個人的なことをいいますと、もう10年以上も前のことアメコミの原書を読んでみようとて、まだ日本語訳のなかった「バットマン:ダークナイト・リターンズ」をとりよせて四苦八苦しながら読んでみたところ……面白い! すでにそのとき旧作のはずのこの作品は、それまでわたしが読んできた山のような日本マンガを含めても、オールタイム・ベストワン級の爆弾でした。なーんだ、日本マンガが世界一なんてことないじゃないか、世界にはわたしの知らないオモシロマンガがいっぱいあるに違いない。これは明るい展望でありました。

 とはいえ、英語を読むのはつらいもの。「WATCHMEN」は読みとおせなかったので、結局日本語訳で読みました。アラン・ムーアの英語は難しいよ。今でも未読の海外マンガはいっぱい積ん読になってます。いわゆるメインストリームのアメコミも全貌をまったく知らないし。

 海外マンガを読んだあと、日本マンガを読むと世界が違って見える。ひるがえって日本マンガを見てみると。こっちはこれで、なんと読みやすいんでしょ。流れるように読める文法を作り上げた日本マンガは、読みやすさで考えるなら世界一。何百ページだろうが、あっという間に読めちゃいます。そして心理描写をさせるなら、日本の少女マンガこそ世界一でしょう。

 わたしはマンガ業界人じゃなくて単なる読者ですが、読者の立場でいえば、日本マンガだろうが海外マンガだろうが面白けりゃOK。そのうち海外との交流の中で化学変化してスゴイものが生まれてくるかもしれない。期待もあります。ドメスティックばかりじゃダメよ。

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July 01, 2004

町山さん、それはちょっと違うぞ

 マンガの話じゃありません。

 映画評論家てのは気楽な稼業のようで、洋の東西を問わずテキトーな文章をチョチョイと書いていっちょあがり、みたいなのが多いのかなあ。以前、映画「ロード・トゥ・パーディション」の評を探してみたとき、どうもだれも原作マンガを読んだことがないらしいのに驚きました。しょうがないから自分で読んでみたときの文章がコレ。そんななかでただひとり、きちんと原作マンガを読んでたのがウェイン町山こと町山智浩です。エライっ。

 「映画の見方がわかる本」なんか目からウロコが落ちまくり、ちゃんとしてます。ブログも愛読してます。ただ、これはどうかしら。「ファビュラス・バーカー・ボーイズの映画欠席裁判」51ページ(全文はネットでも読めます。ココ)。「だいたい『虎口からの脱出』って山田正紀の『崑崙遊撃隊』の盗作でしょうが」「だって関東軍が暗躍する中国で、はぐれ者のヒーローと運転手が雇われて秘密を握る少女を連れて逃げる、ってプロットが丸ごと同じ。しかも愛用する拳銃までコルトSAA」

 ちょっと待った。「虎口からの脱出」は確かに「関東軍が暗躍する中国で、はぐれ者のヒーローと運転手が雇われて秘密を握る少女を連れて逃げる」話です。しかーし、山田正紀がそんな話を書いたか? 「崑崙遊撃隊」は逃げる話じゃなくて秘境を探検に行く話でしょ。しかも一行は、はぐれ者のヒーロー、日本特務機関の男、中国人の殺し屋、美少年運転手、日本人馬賊の5人。少女いませんよ。ピースメーカーことコルトSAAは登場してますが。山田正紀ですから最後はSFになります。

 使うクルマも「虎口からの脱出」ではスーパーチャージャー付のデューセンバーグというスーパーカーをぶっとばしてますが、「崑崙遊撃隊」に出てくるのは時速2kmで進むキャタピラ・カーです。こりゃ印象がまったく違うでしょ。町山さん、筆が(口が)滑りましたね。

 さてこの話、大川総裁経由で反論来たんでしょうか。

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