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June 24, 2004

平田弘史のジェットコースター人生

 最近になって平田弘史の単行本が2冊刊行されました。青林工藝舎「日本凄絶史」と小学館「平田弘史傑作集 剣山」です。「剣山」のほうは2001年春から2003年夏にかけてビッグコミック系の雑誌に描かれた4作収録で、新作であります。「日本凄絶史」はどっかで読んだよなあと思っていたら、「武士道光芒記」(1986年日本文芸社)の復刻じゃないか。でも未収録作品が3作含まれてたからOK。こっちには巻末に「平田弘史年譜」というのが掲載されており、これは小自伝とでもいうべきものです。

 平田弘史は小島剛夕とならんで時代マンガのトップであり、リスペクトの対象。絵のうまさは抜群で、とくにリアルな人体の動きの表現は、伊藤彦造ら一世代前の挿絵画家をはるかに凌駕しております。ただし得意技が残酷描写で、これが批判されたことと、御本人の職人気質がわざわいして、その人生はさながらジェットコースター(あがったり下がったりという意味ですよ)。

 奈良県天理市に在住し、大阪日の丸文庫を中心に貸本マンガのスターに(↑)。ところが貸本業界の衰退にともない、新たな仕事を探しに1965年上京(↓)。この年の記述が面白がっちゃいけませんが、なかなか。佐藤まさあきの事務所に寄寓し楳図かずおとも知り合う。小島剛夕が描いていたひばり書房から契約申し込みがあるが日の丸文庫からの圧力で破綻。白土三平の赤目プロで働くことを提案されるが実現せず。白土の紹介で加治一生名義で「ガロ」に短編を描く。水木しげるに会ったとき、憔悴した顔の水木は「アンタの原稿が載ると本が売れないと言われた」と。ただし水木しげるはこの年秋から少年マガジンで大ブレイクするはずですが。

 翌1966年東京に引っ越して、芳文社「コミックmagazine」中心に精力的に作品を発表(↑)。それまで日の丸文庫の原稿料はページ600〜800円。芳文社では2000円。ところが、1970年ごろより体調を崩し、作品に納得いかない状況もあり仕事量を減らしたところ、経済的に困難に(↓)。1972年は別名義でSM誌にエロマンガも描いてたそうです。1975年「増刊ヤングコミック」に作品を発表するようになり「平田弘史復活」(↑)。1977年から代表作ともいえる「薩摩義士伝」連載開始。1982年未完のまま連載終了。また「意欲がなくなり」描かなくなります(↓)。

 1983年から1985年の「黒田三十六計」も未完のまま終了。1987年日本文芸社から箱入りハードカバー全八巻「平田弘史選集」(わたし持ってます。えっへん。装幀は大友克洋でした)刊行(↑)のあと、いよいよ描かなくなっちゃいます(↓)。その後1990年から講談社中心に「お父さん物語」「異色列伝」「怪力の母」「新首代引受人」をぽつぽつと(→)。現在リイド社で「黒田三十六計」の続編連載中。

 この人、世間で注目され評判になるとなぜか描かなくなっちゃうんですよねー。御自身のホームページはやたら凝ってますが、お願いですから仕事してくださいよー。

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