「まっく道」と「まんが道」
というわけで(どういうわけ?)さるさる日記の方を閉めましてココログに引っ越してまいりました。さるさる日記は下品語にうるさくて、なかなかオ○ニーなどという言葉も書けなかったんですが、こっちはどうかな。今年の4月に書いたちょっとだけ下品な文章の再録。もうすぐマンガ夜話だし。
**********
唐沢なをきの「新・電脳なをさん」1巻は残念でしたねえ、造本がちゃちくなっちゃって。ハードカバー、カラーページ追加が楽しみだったのに。「電脳なをさん」のこれまでのエロパロディ路線で最も極悪だったのは「ブーフーウー」、最近のヒットは「まっく道」シリーズ。なんといっても神様・手塚治虫がメガネかけたちんちんほりだして登場するからなあ。田中圭一とはりあってます。
「まっく道」の元ネタはもちろん藤子不二雄Aの「まんが道」です。この作品はあちこちの雑誌を流れ渡りながら継続し、現在も連載される大長編になりました。最初は1970年から始まった「少年チャンピオン」(創刊直後の初期はまだ週刊じゃありませんでした)連載の「チャンピオンマンガ科」の中で数ページずつ(たしか2ページ)語られる小さな連載。このころ藤子不二雄Aは「COM」連載の「マンガニカ」で、直接マンガファンに語りかけることを始めたり、大人マンガにシフトしたりし始めてました。えらいことゆっくり進む連載でしたが、1972年に完結。「新入門百科 まんが家修行 まんが道」のタイトルで秋田書店から単行本が発行されました。ハードカバーで当時のマンガ単行本としても異色、入門百科シリーズの形でした。これがのちに「まんが道 あすなろ編」と改題されたもの。藤子不二雄Aはこの直後、「週刊少年チャンピオン」で「魔太郎が来る!!」をヒットさせます。
続編を「週刊少年キング」で1977年から1982年まで連載。この後、1987年から中央公論社から発行されていた全集「藤子不二雄ランド」に連載する形で「第二部 春雷編」を1988年まで。この間、1987年末に藤子不二雄コンビ解消をしています。さらに1989年からは「愛…しりそめし頃に…」(恥ずかしいタイトルですが、人間、年をとるとこわいもの無し)が「ビッグコミックオリジナル増刊」に不定期掲載、1995年末より連載。現在に至るわけですね。
日本戦後マンガ史は藤子不二雄Aの証言もあって、手塚治虫とトキワ荘グループ周辺についてはよく知られるようになりました。でもこれ以外の歴史の記述があまりにさみしい。みなさん、もっともっと書いてくれしゃべってくれ。
Comments