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June 30, 2004

家庭内のタタカイ

 同居人がはてなダイアリー(ネタは新選組)を始めたその初日にアクセス60人突破。おーほほほっ、やっぱりアンタの作文とアタシの格調ある名文の差っちゅうこっちゃね、とクヤシーことを言われております。ううむ、これが今ブームの新選組と地味なマンガエッセイとの違いか。それともはてなとココログの実力の差か。家庭内の熾烈な低レベルの争いは続くわけです。

 今日買ってきた本は以下のとおり。

・かわぐちかいじ「ジパング」(15)
・いしいひさいち「フン!」
・唐沢なをき「さちことねこさま」(2)
・松永豊和「龍宮殿」(1)
・KAWADE夢ムック「押井守」
・あすなひろし「青い空を白い雲がかけてった」「いつも春のよう」
・田中啓文「蹴りたい田中」(マンガじゃありません。マンガみたいな小説)
・「山本弘のトワイライトTV」(買いのがしてました)

 でもって実際に読んでるのは、矢沢あい「NANA」のイッキ読み。今、頭の中が少女マンガです。あと、JOE SACCOというコミック・ジャーナリストの存在を教えていただきましたが、彼を紹介している別冊・本とコンピュータ「アメリカンコミックス最前線」(2003年4月発行)をパラパラと読み直してます。

 ネットでは「このライトノベルがすごい!」の久美沙織「創世記」と早見裕司「ジュニアの系譜」が必読。ライトノベルの歴史を語ってくれておりますが、ほとんど知らない世界。とはいうものの新井素子のコバルトシリーズ「星へ行く船」(1981年、カバーイラスト竹宮恵子)は持ってたりします。

 マンガ夜話はやっぱりまだ見てません。ははは。

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June 29, 2004

「BECK」と梶原一騎

 マンガ夜話始まってますねー。録画はしてるんだけどまだ見てません。

 でもって、ハロルド作石「BECK」。気持ちよく読めるのは、ていねいな線であったり、小ギャグであったり、カワイイ女の子であったりするからでもありますが、ストーリーの流れは、うーむこれはスポーツ・格闘マンガだよね。

 才能ある主人公があるスポーツと出会う。勝ち負けを繰り返しながらスキルアップしていく。特訓につぐ特訓。ライバル登場。ひきょうな妨害工作。地方大会から全国大会へ。チームワークの危機と団結。女子マネージャーとの恋愛。そっくりでしょ。わたしは「BECK」読んでると、巨人の星とあしたのジョーをいつも思い出しちゃいます。力石が死んだあとのジョーの彷徨とか。

 水野英子「ファイヤー!」に始まり、森脇真末味「緑茶夢」を経由してみうらじゅん「アイデン&ティティ」へ。そして少年マンガにおいてバンドマンガはスポーツマンガとなるわけです。梶原一騎の功績というか呪縛というか。

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June 27, 2004

マンガの中の中東紛争

 アメコミ業界じゃスーパーヒーローが中東になぐり込みをかけるかどうかで議論になっているそうです。現代マンガはすでにこういうストレートな表現はしなくなってるはずなんですが、さすがアメリカ。でも日本にも小林よしのりなんてのがいるからなあ。

 日本マンガでパレスチナ問題、中東紛争に触れられることはほとんどありませんでした。なんせあそこは遠すぎる。しかも複雑すぎる。極東の、島国の、日本人が口を出すにはあまりに難しい存在です。でも手塚治虫だけは題材にするんだ。

 1966年発表「鉄腕アトム 青騎士の巻」で、青騎士はロボットだけの国ロボタニアを作ろうとします。そこで青騎士が先例に出すのがイスラエル。「昔人間の中で一番ふしあわせだったユダヤ人が……」「力をあわせてイスラエルの国を作ったように…」おそらくこの時期、イスラエルえらいなあ、ようやった、というのが大方の日本人のメンタリティだったでしょう。パレスチナ人のことは全く無視されていました。

 しかしその後1967年第三次中東戦争が勃発。中東でのアラブ民族主義の台頭を背景にイスラエルが奇襲攻撃。この時代もちろんソ連がご健在でしたから、イスラエル=アメリカ、アラブ=ソ連の代理戦争の様相。だいたいこのあたりで日本人のイスラエル観がひっくり返りましたね。イスラエルムチャしよんな。アラブかわいそうやん。1960年代末からはパレスチナゲリラのハイジャック等が頻発するようになります。すでに当時の日本の学生運動の価値観はあきらかにアラブよりに変化しており、イスラエル=アメリカ=悪になっていました。

 1970年「きりひと讃歌」で主人公・桐人はシリアの難民居住区で医師をしています。ここでのアラブ人は明らかに戦争の被害者として描かれます。たった4年での手塚のこの変化は、世界情勢の変化の反映でもあり、マンガ読者の高年齢化が、マンガを世界情勢と切り放しては存在させなくしていたことを示します。

 「アドルフに告ぐ」最終第4巻の発行が1985年。このラストシーンで主人公のふたりのアドルフは1973年第四次中東戦争直前のパレスチナで殺しあいます。もはや正邪はなく深い絶望だけが残る。この手塚最晩年の作品には救いというものがありません。

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June 25, 2004

サイテーマンガへの招待

 サイテー映画はまちがいなくあって、サイテー小説も存在します。でもサイテーマンガってのはなかなか思い浮かばないもの。

 きっとこれは費やした金額と時間の問題。映画はけっこうな金額を払って見るものだし、TVで見たとしてもそれなりに2時間近くかかります。でもってスカタン映画なら、こりゃおこるでしょ。オレの時間を返せ。小説は映画よりもっと事前にわかる内容に関する情報が少ないし、ラストまで読み通すには時間と努力が必要。これで「リアル鬼ごっこ」や「Deep Love」なら、あなたおこってよろしい。

 その点マンガならあまりサイテーマンガと感じることがない。面白くないなあと感じる消極的否定マンガはいっぱいあるし、これをオレは認めないぞと積極的に否定するマンガもある。とくに後者はそのキライなところをいっぱい語れるわけで、むしろ好きなマンガからちょっとだけずれてることが多いものです。でも、わたしたちがサイテーマンガに麻痺している一番の原因は、日常的にくだらんマンガを短時間で読み捨てているから。すなわち、地方新聞を中心に掲載されている4コママンガのことです。これこそサイテーマンガの名にふさわしい。グランプリあげます。でも存在自体をけっこう忘れてるんだ。

 現代日本マンガにおいて、あれらほどくだらなくて面白くなくて読者をスポイルしているものはほかにない。日本人のギャグレベルを下げます。毎日望んでいないのにむこうから配達してくる脱力の4コマ。最低を知るという意味以外に存在意義はありません。これが淘汰されない限り、日本マンガに未来はない。と、カゲキなことをいっておきましょう。コボちゃんをなんとかしろ。

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June 24, 2004

平田弘史のジェットコースター人生

 最近になって平田弘史の単行本が2冊刊行されました。青林工藝舎「日本凄絶史」と小学館「平田弘史傑作集 剣山」です。「剣山」のほうは2001年春から2003年夏にかけてビッグコミック系の雑誌に描かれた4作収録で、新作であります。「日本凄絶史」はどっかで読んだよなあと思っていたら、「武士道光芒記」(1986年日本文芸社)の復刻じゃないか。でも未収録作品が3作含まれてたからOK。こっちには巻末に「平田弘史年譜」というのが掲載されており、これは小自伝とでもいうべきものです。

 平田弘史は小島剛夕とならんで時代マンガのトップであり、リスペクトの対象。絵のうまさは抜群で、とくにリアルな人体の動きの表現は、伊藤彦造ら一世代前の挿絵画家をはるかに凌駕しております。ただし得意技が残酷描写で、これが批判されたことと、御本人の職人気質がわざわいして、その人生はさながらジェットコースター(あがったり下がったりという意味ですよ)。

 奈良県天理市に在住し、大阪日の丸文庫を中心に貸本マンガのスターに(↑)。ところが貸本業界の衰退にともない、新たな仕事を探しに1965年上京(↓)。この年の記述が面白がっちゃいけませんが、なかなか。佐藤まさあきの事務所に寄寓し楳図かずおとも知り合う。小島剛夕が描いていたひばり書房から契約申し込みがあるが日の丸文庫からの圧力で破綻。白土三平の赤目プロで働くことを提案されるが実現せず。白土の紹介で加治一生名義で「ガロ」に短編を描く。水木しげるに会ったとき、憔悴した顔の水木は「アンタの原稿が載ると本が売れないと言われた」と。ただし水木しげるはこの年秋から少年マガジンで大ブレイクするはずですが。

 翌1966年東京に引っ越して、芳文社「コミックmagazine」中心に精力的に作品を発表(↑)。それまで日の丸文庫の原稿料はページ600〜800円。芳文社では2000円。ところが、1970年ごろより体調を崩し、作品に納得いかない状況もあり仕事量を減らしたところ、経済的に困難に(↓)。1972年は別名義でSM誌にエロマンガも描いてたそうです。1975年「増刊ヤングコミック」に作品を発表するようになり「平田弘史復活」(↑)。1977年から代表作ともいえる「薩摩義士伝」連載開始。1982年未完のまま連載終了。また「意欲がなくなり」描かなくなります(↓)。

 1983年から1985年の「黒田三十六計」も未完のまま終了。1987年日本文芸社から箱入りハードカバー全八巻「平田弘史選集」(わたし持ってます。えっへん。装幀は大友克洋でした)刊行(↑)のあと、いよいよ描かなくなっちゃいます(↓)。その後1990年から講談社中心に「お父さん物語」「異色列伝」「怪力の母」「新首代引受人」をぽつぽつと(→)。現在リイド社で「黒田三十六計」の続編連載中。

 この人、世間で注目され評判になるとなぜか描かなくなっちゃうんですよねー。御自身のホームページはやたら凝ってますが、お願いですから仕事してくださいよー。

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June 23, 2004

マンガ編集者の本にはこういうのもあります

 マンガ編集者が書いた本をもう一冊。秋山満「COMの青春 知られざる手塚治虫」(1990年平凡社)は小説仕立ての回想録です。虫プロ「COM」は1967年1月号から1971年12月号までの短期間発行、その後「COMコミックス」と名前を変えて4冊。1973年に1冊だけ復刊されています。著者は1968年11月に虫プロ商事入社。副編集長や編集長代理もしていました。当時24歳から25歳、お若い。

 友人や家族から見た仕事中毒者手塚、読者から見たヒューマニスト・人格者手塚と違って、編集者、しかも「手塚治虫の個人商店」虫プロ商事の編集者から見た手塚治虫は。著者にとって手塚治虫は、編集者として原稿を催促しなけりゃならない作家であり、かつ会社のオーナー。入社早々「COM」連載「火の鳥」担当になった著者は、手塚から編集長に対し身に覚えのない苦情を言われ、イヤイヤながら手塚のところに謝りに行きます。すると手塚はそんな苦情を言った覚えないよーんと。「川崎氏(編集長)は、なにを勘違いしているのかな。困っちゃうな」

 あるいは手塚のマネージャーとの打ち合わせで、その日から「火の鳥」にとりかかってもらうはずだったとき。「それはおかしいよ。こういう状況なので、今日は『COM』の仕事はできないと、ちゃんと高見沢氏(マネージャー)に言っておいたんだが……」「まいっちゃうんだよ。高見沢氏には……。僕の話なんか全然聞いていないんだもの。無能で、無責任でどうしようもない」著者にとって手塚は、人に責任をおしつけるウソツキだったようです。

 編集者たちも手塚を「天才と狂人は紙一重というが、とにかくそういう人だ」といって、「怨んで」「嫌われ」「敬遠されて」「反感や憤りを持って」いたと。「COM」創刊号ができたとき、「ああ、これはひどい雑誌だ。こんなものを、虫プロ商事の名前で出版されたら、僕の名前にかかわります」編集者のことなど何も考えていません。

 でも天才に人格者であることを期待するのは無理なんじゃないかしら。作者がどんなにきらわれても作品は残る。戦後マンガの巨人・手塚治虫と梶原一騎はある意味似ていたともいえます。

 会社に組合ができたとき、「僕の会社なのに、勝手なことをして。これじゃ、飼い犬に手を噛まれたようなものじゃないか!」虫プロの少女マンガ雑誌「ファニー」は編集長の事故死がきっかけで休刊するんですが、「僕があんなに反対したのに(略)赤字を作って死んじゃうんだもの。商事はいつもそうなんだ。好き勝手なことをして、尻ぬぐいは僕にさせるんだから……」死者にムチ打ってます。

 この調子でつっぱれば、手塚への恨みの書としてブラックな名作になったかもしれませんが、著者はもうひとつ歯切れが悪い。恋人とのラブシーンとかフーテン少女のエピソードとか不要なものが出てきて、だれます。著者は1970年6月に虫プロ商事退社。1972年「COM」から名を変えた「COMコミックス」休刊(最後のころの話はココ)。1973年虫プロ商事倒産。同年虫プロダクションも倒産します。

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June 22, 2004

「まっく道」と「まんが道」

 というわけで(どういうわけ?)さるさる日記の方を閉めましてココログに引っ越してまいりました。さるさる日記は下品語にうるさくて、なかなかオ○ニーなどという言葉も書けなかったんですが、こっちはどうかな。今年の4月に書いたちょっとだけ下品な文章の再録。もうすぐマンガ夜話だし。

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 唐沢なをきの「新・電脳なをさん」1巻は残念でしたねえ、造本がちゃちくなっちゃって。ハードカバー、カラーページ追加が楽しみだったのに。「電脳なをさん」のこれまでのエロパロディ路線で最も極悪だったのは「ブーフーウー」、最近のヒットは「まっく道」シリーズ。なんといっても神様・手塚治虫がメガネかけたちんちんほりだして登場するからなあ。田中圭一とはりあってます。

 「まっく道」の元ネタはもちろん藤子不二雄Aの「まんが道」です。この作品はあちこちの雑誌を流れ渡りながら継続し、現在も連載される大長編になりました。最初は1970年から始まった「少年チャンピオン」(創刊直後の初期はまだ週刊じゃありませんでした)連載の「チャンピオンマンガ科」の中で数ページずつ(たしか2ページ)語られる小さな連載。このころ藤子不二雄Aは「COM」連載の「マンガニカ」で、直接マンガファンに語りかけることを始めたり、大人マンガにシフトしたりし始めてました。えらいことゆっくり進む連載でしたが、1972年に完結。「新入門百科 まんが家修行 まんが道」のタイトルで秋田書店から単行本が発行されました。ハードカバーで当時のマンガ単行本としても異色、入門百科シリーズの形でした。これがのちに「まんが道 あすなろ編」と改題されたもの。藤子不二雄Aはこの直後、「週刊少年チャンピオン」で「魔太郎が来る!!」をヒットさせます。

 続編を「週刊少年キング」で1977年から1982年まで連載。この後、1987年から中央公論社から発行されていた全集「藤子不二雄ランド」に連載する形で「第二部 春雷編」を1988年まで。この間、1987年末に藤子不二雄コンビ解消をしています。さらに1989年からは「愛…しりそめし頃に…」(恥ずかしいタイトルですが、人間、年をとるとこわいもの無し)が「ビッグコミックオリジナル増刊」に不定期掲載、1995年末より連載。現在に至るわけですね。

 日本戦後マンガ史は藤子不二雄Aの証言もあって、手塚治虫とトキワ荘グループ周辺についてはよく知られるようになりました。でもこれ以外の歴史の記述があまりにさみしい。みなさん、もっともっと書いてくれしゃべってくれ。

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June 20, 2004

家計圧迫

 マンガ読みてのはマンガを読んでるだけじゃなくて買わなきゃいけないんで、当然家計を圧迫します。同居人から、あんたマンガにいったいいくらつこてると思てんのっ、とお怒りの言葉がありましたんで(今月はアマゾンで2万円分も使っちゃったからなあ。だって1万円につき千円バックじゃないかよう。これはやっぱり買うでしょ)、計算するはめに。

 じつは家計簿つけはわたしの趣味みたいなもんなんですが、つけてるだけで計画なんかしないから、わが家の家計には何の貢献もしてません。で、いくらマンガに使ってるかは極秘事項でありました。今回禁を破って計算を。

・2001年度:72万7932円
・2002年度:58万7576円
・2003年度:71万0890円

 ほら見てみ。たいしたことないやろ。100万なんか越えてないやないか。あほーっ、こんだけあったら一家で海外旅行して豪遊できるわ、信じられへんわ、わたしに指輪のひとつも買うてくれんと、こないだの結婚記念日も忘れてたやろ、だいたいあんたはいつもいつも……(以下3時間エンドレス)

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June 17, 2004

近況など

 今月の小遣いが全く残っていないという危機的状況ではありますが、アマゾンで1万円使えば千円バックというサービスに誘われ、本日手許に届いた本は以下のとおり。

・平田弘史傑作集「剣山」
・西島大介「凹村戦争」
・「PLAYBOY 50 YEARS: THE CARTOONS」
・松尾スズキ「撮られた暁の女」

 これでぴったり10007円。「THE CARTOONS」は洋書ですが、先日日本語訳が出たプレイボーイ50周年記念の写真集の姉妹本で、ヒトコママンガを400作以上集めたもの。ま、これは日本語に訳されることはまずなかろ、というわけで注文したもの。重いです。松尾スズキの本はマンガじゃなくて、去年出たマンガみたいな写真集。

 でも実際に読んでる本は、手塚悦子と手塚真が手塚治虫について書いた本と、水木しげるの自伝(この人いったい何冊自伝書いてんだろ)と、読んでなかった中野晴行「手塚治虫のタカラヅカ」を同時進行で。

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June 16, 2004

マンガ編集者の本

 「一知全解」でもとりあげられていたマンガ編集者の本。わたしが読んだのはこのあたり。

編集者自身の書いた本

・山本和夫(実業之日本社・週刊漫画サンデー)「漫画家 この素晴らしき人たち」
・内田勝(講談社・週刊少年マガジン)「『奇』の発想」
・西村繁男(集英社・週刊少年ジャンプ)「さらばわが青春の『少年ジャンプ』」
・岡崎英生(少年画報社・ヤングコミック)「ヤングコミックの神話」
・松田哲夫(筑摩書房)「編集狂時代」
・丸山昭(講談社・少女クラブ)「トキワ荘実録 手塚治虫と漫画家たちの青春」
・藤本七三夫(芳文社)「俺らはコミック編集長」
・長井勝一(青林堂)「『ガロ』編集長」

編集者の伝記やインタビュー

・本間正夫「少年マンガ大戦争」
・加藤丈夫「『漫画少年』物語」
・宇都宮滋一「『ダメ!』といわれてメガヒット 名作マンガの知られざる制作現場」

 編集のみなさーん、もっともっと書いて下さい語って下さい。

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June 15, 2004

9.11に「9-11」を読む

 はてなダイアリーの箱男さんの話はいつもためになるなあ。このブログはトラックバックというものをしたいがために始めたんですが、あそこはトラックバックおことわりになってますね。以下はわたしが2003年9.11に書いたもの。

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 今年も9.11がきました。あれから2年。アフガニスタン、イラク、さらに戦争がおこるかもしれない時代になってしまいました。

 9.11にアメリカのマンガ家はどう考えたか。「9-11」は全2巻。第1巻は「9-11: Artists Respond」、第2巻「9-11: The World's Finest Comic Book Writers and Artists Tell Stories to Remember」と題され、共に2002年の早い時期に発売されました。第1巻はダークホース、カオス、イメージコミックスの作家たち、第2巻はDCコミックスの作家たちの作品を集めたものです。1ページから数ページまでの短いものばかり。第1巻の有名どころはフランク・ミラー、アラン・ムーアら。スーパーヒーローが出てくるのは第2巻で、表紙はアレックス・ロス。いろんな人種・民族の消防士・警官・市民たち(犠牲者でもあり救助者でもあるのでしょう)がすっくと立ってこちらを眺めているポスターを、スーパーマンとスーパードッグが見ている。過去のアメコミ雑誌表紙をまねた構図です。参加作家は、ジム・リー、ニール・ゲイマンとクリス・バチャロなど。なつかしやリチャード・コーベン、ニール・アダムス、ジョー・キューバートも。

 読んでいると暗い気持ちになってしまい、とても面白いとは言えない本です。事件から比較的早い時期に描かれたこともあり、作家たちの反応はまず驚きと悲しみ。事件を越えて前進しようとはいうものの、どの方向への向かうのかこの時点ではだれも解っていません。争いはやめて全地球的に手を握ろうというフラワーチルドレン的な絵もあります。

 一方、マーヴェル。先日新潮社から発売された「アメコミ&ムービー・スーパーガイド」の付録として「スパイダーマン 9.11」が日本語で読めます。こちらはスーパーヒーローを前面に押し出した構成で、スパイダーマン・Xメンたちがツインタワーで救助活動に参加。変なのは、マグニートーやドクタードゥームらの悪役も爆心地で涙しています。言葉では「理性と良識を持ち、仕返しをしてはいけない」と語られています。とはいうものの最後のページではいろんな人種・民族の消防士・警官・市民たち(とスーパーヒーローたち)がこちらを眺めている。「9-11」第2巻の表紙と同じです。しかもこちらは星条旗がバックにはためいています。

 この構図はアメコミ作家たちのお気に入りで、同じものが「9-11」第2巻の中で3回は出てきます。しかもすべてバックに星条旗を背負っている。彼らはなんらかの未来を見つめています。その後のアメリカの行動を見ていると、彼らの視線の先には戦争があるとしか思えませんが。

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June 14, 2004

伝説の「漫画少年」カレー事件の謎

 「漫画に愛を叫んだ男たち」についての文章。再録ですが、こっちにも載っけておきます。

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 長谷邦夫「漫画に愛を叫んだ男たち」(清流出版2004年)を読み終わりました。最近は何かみんな叫んでばっかりだなあ。1954年赤塚不二夫との出会いから1992年フジオ・プロ退社、訣別まで。どう読んでも自伝なんですが、帯には「渾身の書き下ろし小説!」とありまして、なぜかフィクションであると宣言してます。確かに少しながら著者が登場しないエピソードもあります。赤塚不二夫のなけなしのスープを横山孝雄が食べてしまった話。鈴木伸一が「フクちゃん」の横山隆一に会う話。「少年マガジン」編集の内田勝が福島正美→柴野拓美→平井和正を紹介され「8マン」ができる話。

 しかし、その他ほとんどのエピソードに著者が立ち会っています。この程度なら小説じゃなくて自伝としていいと思われるんですが、この態度は何か。大きな嘘が隠れているのでしょうか。

 1955年「漫画少年」の廃刊が決まったとき。赤塚と長谷は学童社を訪れ、返本の山の中から石森章太郎の「二級天使」の原稿を探し出してきます。このときふたりが目撃したのがカレー事件。本の山の上で、学童社の編集者とすでに新人マンガ家として活躍していた永田竹丸が、泣き笑いながらカレーライスを顔にぶつけ合っていた、という話。このエピソードは実に印象的で、清水勲「『漫画少年』と赤本マンガ」や加藤丈夫「『漫画少年』物語」にも紹介されています。赤塚と長谷が学童社を訪れたことは間違いなく、直後に長谷が横山孝雄に送ったハガキも残っています。ところがこのハガキには「編集部の人々は全然姿をみせず」と書いてあるんですね。

 カレー事件は赤塚不二夫「ギャグほどステキな商売はない」(1977年)で書かれた話。ところがこの事件について、ほかの場所では言及されたことがないのです。赤塚も永田竹丸も。赤塚は自伝をいくつか書いてますが、学童社に行き誰もいなかったとは書いてあっても、カレーは出てこない。だいたいマンガ家の永田竹丸がなぜ倒産した出版社でカレー食ってたのか?

 今回「マンガに愛を叫んだ男たち」の中にカレー事件に関する2回目の記載があります。これによると学童社にいたのは編集者やマンガ家ではなく、3人のアルバイトの青年でした。そしてカレーを投げつけてたのも彼ら。

 いったいカレーを食べてたのは誰か。そしてホントにカレー事件はあったのか。

 ここから先は妄想です。

 赤塚不二夫のエッセイの多くは長谷邦夫が書いていたことは確か。少なくとも「シェー!!の自叙伝」(1966年)、「人生破壊学」(1974年)、その他雑誌のエッセイのいくつかは長谷が書いたとされています。「ギャグほどステキな商売はない」が書かれた1977年当時、フジオ・プロは経理担当者の横領で破産に近い状態。芳谷圭児と古谷三敏が独立してしまい、赤塚はタモリら芸能人と遊び回ってた時期です。こんなとき赤塚が文章の仕事をするとは考えにくい。ちょうどこの年、全編書き下ろしのエッセイ集「笑わずにいきるなんて ぼくの自叙伝」も書かれていますが、この文章の密度を見ると口述筆記ではなく、やはり長谷の文章だろうと思われます。となると「ギャグほど」も長谷の手になるものではないか。

 赤塚が「ギャグほど」でカレー事件を永田竹丸と編集者によるものと思いこんで書いたものを、のちに長谷が自身の自伝「漫画に愛を叫んだ男たち」で修正した。と考えるのじゃなくて、ふたつとも長谷が書いたもの、という可能性は十分にありそうに思えませんか。

 そして長谷邦夫がこれほど日付まできっちりした自伝を書けるのは、きっと日記をつけてるんじゃないか。ならばアルバイトの青年たちを、永田竹丸と編集者に間違うなんてことがありうるのか。ましてや「カレーの皿をパイ投げのように」投げるという、一生お目にかかることはないかもしれないハデな事件です。記憶に残らないはずがない。

 わたしはカレー事件そのものが長谷の創作じゃないのかとまで考えております。一度は永田竹丸と編集者を出演させていい話をこしらえたものの、矛盾に気づき今回の自伝でアルバイトの青年たちを登場させて作りなおした。とはいうものの、真実を知る者は赤塚と長谷しかいません。結局はわたしの妄想ですね。

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June 12, 2004

手塚マンガで和解はいかになされるか

 夏目房之介の2004年6月6日のブログはNHKBS「THE 少女マンガ!」の話題でした。ここで萩尾望都に関連して「手塚マンガの『異者との矛盾』テーマ」「手塚が最終的に『異者との和解』へと向かう」という文章が出てきます。これを読んでずっと考えていたのが、手塚マンガで和解はどのようになされたか。

 ひとつの典型は主人公の死で解決されるパターン。「ロック冒険記」では、主人公・ロックの死に際の説得で地球人と鳥人の争いが和解の道へ向かいます。「キャプテンKen」でも同様に、主人公・ケンが爆弾を大気圏外へ誘導して死亡。これで地球人と火星人は和解します。アトムではどうでしょうか。「青騎士の巻」は人間とロボットの争いという大きな話のはずなのですが、ラストはアトムと青騎士の一騎打ち。アトムは負けて破壊され、青騎士も人間に壊され、ロボットの反乱はなしくずしに終わってしまいます。これらでは主人公の自己犠牲がすべてを解決するという、いかにも日本的でウエットな展開ですね。

 「アトム大使」はちょっと複雑。アトムの生みの親であり、科学省長官、そして宇宙人排斥のための赤シャツ隊首領でもある天馬博士。彼が宇宙人を憎む理由は、アトムをとられそうになったから。子であるアトムが親の天馬博士を倒すことで、地球人と宇宙人は和解。ひとつの家庭の親子間の愛憎が宇宙戦争を起こし、かつ収束させるという空前絶後のオハナシです。親子関係を抜きにして考えるなら、主人公の(自己犠牲じゃない)活躍が紛争を解決するという、最もありふれたパターンともいえます。

 これらの作品では確かに和解があるのですが、そうじゃない例も。

 「0マン」では、地球人との闘いで数万人もの犠牲者をだした0マンたちが金星へ去っておしまい。「来るべき世界」のフウムーンもノアの箱船となる円盤で宇宙へ去ります。「バンパイヤ」も人間の前から姿を消すだけでした。一応闘いは終わるので和解といえなくもないんですが、作者は相互理解をあきらめています。

 大人向け手塚マンガではどうか。「人間ども集まれ!」では無性人間の勝利に終わり、有性人間は滅びます。「地球を呑む」では男女の闘いから人類の文明が消滅して終わり。和解はなく、世界は破壊されます。

 「きりひと讃歌」は特殊です。この作品で異者とは顔が変形した病人であり、いわれなき差別をうけるひとびと。ここでの和解は、ひとがひとにたいして行う差別をなくすということを意味します。一応は作品内での解決はつきますが、現実はもっと複雑であることを手塚は知っているはずです。

 手塚治虫は「異者との和解」が可能であると考えていたのでしょうか。手塚マンガは、作品によって理想主義とニヒリズム・ペシミズムの間で大きく揺れているのがよくわかる。もちろん対象とする読者層によって展開を変えていたでしょうし、作劇のテクニックとして主人公の死をもってきたこともあるでしょう。ただそれよりもテーマ・展開のこの振幅の大きさこそ、手塚治虫のぬえのような複雑さじゃないでしょうか。

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